菰野町永井の手延べめん製造・販売「スズガミネ」は大正7年、祖父常次郎さんが四日市市牧田から転居して「牧田屋」の屋号で創業した。地産の小麦を使い、水車でひいた粉で大矢知秘伝の手延べめんの下請け製造を始めた。
父親の故常雄さんの代に「前川製粉・製麺所」と名称を変えた。小学生のころから、早朝の天日干しを手伝ってから登校し、帰宅後もすぐに工場で粉だらけになって働いた。「朝から家の仕事を手伝っているから、寝かせておけ」と、授業中に居眠りをしても事情を知る先生から叱られなかった。
楽しそうに川遊びをする級友らがうらやましかった。つらくて家を出ようと考えたこともあったが、祖父母、両親の苦労を思うと「長男として、しっかりしなければ」と自分に言い聞かせた。中学卒業後、15歳で父から家業を引き継いだ時は、手延べめん職人として全ての工程をこなせるようになっていた。
仕事に打ち込む年月でこれといった趣味も持たず、作業中に歌うことだけが楽しみだった。42歳の時、知人の勧めで日本舞踊を教わり始めた。仕事を終えた後、練習に通う日々を重ね、5年後には名古屋・御園座で披露するまでになった。
あでやかな女形の舞台衣装姿を病床にあった母親が涙を流して喜んでくれた。「これまでの人生で唯一、夢のような華やかな時間だった」と振り返る。
昭和61年、新社屋を建設。翌年「スズガミネ」と社名変更して、自社製品の製造、販売に乗り出した。午前1時からボイラーに火を入れ、前日に延ばしためんの乾燥に入る。従業員らが出社する時間までに下準備を整え、粉のこねから製めん、延ばし、乾燥作業までを繰り返す。中元、歳暮の時期はフル操業になる。
平成20年ごろから、「地元特産のイネ科の健康食材マコモタケで町おこしを」の機運が高まり、町を挙げての取り組みが始まった。
翌21年に「真菰の菰野会」を設立し、会長に就任した。同年から、毎年6月に町内20業者が開発したマコモ入りの新商品を代表者らと共に伊勢神宮内宮に奉納している。
生産するめんは年間約50㌧。従来からのうどん、きしめん、冷や麦、そうめん、そばに加え、マコモの葉や茎の粉末を練り込んだ乾めん、半生めん、デザートのマコモくず餅など、独自に考案したマコモ関連商品の人気も高まっている。現在は、マコモ茶を開発中。
事務全般と接客を担当する妻和美さんは、ベテランから新人まで10人の従業員らの母親代わりとしてそれぞれの体調を気遣い、笑顔で働いてもらえる環境づくりを心掛けている。休憩時間になると和美さんが準備したおやつとお茶を楽しみながら従業員らと交流を深めている。
「あんたんとこのうどん食ったら、よそのが食えやん」が職人名利に尽きる最高の言葉。「『精一杯努める』を座右の銘に、よりうまいめんを追求していきたい」と語った。
略歴:昭和21年生まれ。同35年菰野町立八風中学校卒業。平成21年真菰の菰野会会長就任。