5代目、不屈の精神継承 家族に朝食作る一面も 食品系包装紙&パッケージ「四日市印刷工業」社長 山口史高さん

「お客さまの要望に寄り添い、笑顔を共有できる脇役としてのプロ集団を目指したい」と話す山口さん=四日市市本郷町で

 四日市市本郷町の「四日市印刷工業」は、高祖父の故山口寅吉氏が明治10年に東海道日永宿で創業した木版印刷「山口堂」が前身。伊勢参りの土産物日永うちわ作りで培った多色刷り技術を生かし、伊勢茶や日本酒、生糸など地場産品のラベル作りに進出した。昭和19年に「四日市印刷工業」と社名変更し、来年創業140周年を迎える。

 技術の進歩とともに木版から石版、オフセット、デジタル印刷へと、最先端機器の導入で時代のニーズに先駆けてきた。平成26年、41歳で5代目社長に就任した。

 真心とこだわりを持って作られた和・洋菓子の一つ一つに合わせ、菓子を包む和紙から進物用の紙箱、包装紙、持ち歩く紙袋などを衛生管理の行き届いた工場で製造する。現在は、東海地区トップクラスの印刷会社として、食品パッケージデザインの企画、印刷、加工を手掛け、全国に販路を拡大している。

 同市日永で3人きょうだいの長男として生まれた。幼少時から活発で、小中高とバスケットボールに打ち込んだ。海星高3年の時、キャプテンとして出場した県大会でベスト8の成績を残した。「チーム全員が目標達成に向かって心を一つにする喜びと、継続が力になることを実感できた」と振り返る。

 「家業を継いでくれ」と両親から言われたことはなかったが、幼いころから周囲の人々に若社長と呼ばれ、いつかは自分が継ぐのかと意識はしていた。海星高から埼玉県の城西大学経済学科に進学し、親元を離れて過ごした4年間で、家業を引き継ぐ心構えができた。卒業後は、父薫さん(75)の紹介で、埼玉県の食品フィルム印刷会社で2年半、印刷の基礎を習得し、営業の難しさを体験して郷里に戻り、四日市印刷工業に入社した。

 入社後は工程管理と前職で築いた人脈を生かして埼玉、東京方面の顧客開発に力を注ぎ、常務取締役を経て2年前、会長に退いた父に代わって5代目社長を引き継いだ。幾度もの経営危機を乗り越え、老舗の看板を守ってきた祖父や父の不屈の精神を継承することを心に誓った。

 50人の社員と共に、創業以来の理念「信頼と和」と社訓「その先を常に思い描きながら進むことが幸せにつながる」を唱和して1日をスタートする。71歳の熟練技術者は「和気あいあいとした社風が好き。健康なうちは働き続けたい」と、65歳の定年後も元気に勤務している。

 社員有志らと年に数回、掃除を通して心を磨こうと、休日を利用して地域の小中学校や公園などの清掃活動を続けている。四日市印刷ファミリーの絆が強まり、社会貢献にもつながっている。

 大学の後輩だった妻美穂さんと結婚して17年、中3になった双子の長男長女と4人で暮らす。年に数回は、伊勢志摩や美穂さんの実家がある群馬県などに家族旅行をする。休日には、家族の朝食作りに腕を振るう優しい父親の一面を見せる。「オムレツおいしいよ」の子どもたちの笑顔が、仕事の活力になる。「心安らぐ家庭をつくってくれる妻に感謝です」と話す。

 「商品のイメージアップや販売促進など、お客さまの要望に寄り添い、笑顔を共有できる脇役としてのプロ集団を目指したい」と意欲を語った。

略歴:昭和46年生まれ。平成5年城西大学経済学部卒業。同年協立ラミネート入社。同8年四日市印刷工業入社。同25―28年県印刷工業組合青年部会長。同26年四日市印刷工業社長就任。