-J昇格、数年以内に 圧倒的支持で2代目社長- サッカークラブ鈴鹿ポイントゲッターズ「アンリミテッド」社長 吉田雅一さん

 地元からJリーグ参入を目指すサッカークラブ「鈴鹿ポイントゲッターズ」を運営する株式会社「アンリミテッド」の社員として5年間、企業支援を募る営業活動と試合運営に携わってきた。今年2月、社長公募に立候補し、スポンサーとファンの圧倒的支持を得て2代目社長に就任した。

 前監督の契約満了に伴い、スペインから招へいした欧州最高位の指導者資格「UEFAプロライセンス」を持つ初の女性監督ミラグロス・マルティネス・ドミンゲスさんの指導の下、昨年、日本フットボールリーグ(JFL)に初参入した。地元サポーターらが北は青森、南は宮崎まで駆けつけて、応援する選手の背番号が入ったユニホームを着けて声援し、選手らを力づけてくれた。

 現在、クラブには10代から30代の選手30人が所属し、ホーム、アウェイ合わせて年間約30試合に出場している。今期は3月にリーグ戦が開幕する予定だったが、新型コロナの影響で7月に延期された。選手らはスポンサー企業などでの勤務の傍ら、スポーツガーデンで練習に励んでいる。

 亀山市で2人きょうだいの長男として生まれた。幼少時は、ランニングが趣味だった父忠誠さん(73)の後ろを姉と一緒に走るのが大好きだった。小2から高3まで陸上に打ち込み、中3の時には長距離走で県大会に進んだ。「限界に挑戦して、自己記録を更新することが楽しかった」と振り返る。

 「世界を知り、将来は国際的な仕事に就きたい」と、東京都の中央大学総合政策学部に進学。国際政策文化学科で勉学に励む傍ら、アメフト部に入部した。100人もの部員の中からレギュラーになれるのは11人だけ、厳しいトレーニングを重ね、3年生でレギュラーに選ばれた。

 卒業後は、総合商社「丸紅」に入社し、アパレル関連業務やリスクマネジメント管理、財務経理などの仕事に携わってきた。33歳の時、ネットで目にした「鈴鹿市のサッカーチームが幹部候補募集」という記事に興味をそそられた。

 小6の時、父と鈴鹿市で観戦したJリーグ公式戦「名古屋グランパス対浦和レッズ」の興奮とともに、サッカーをやりたかったが、12歳からでは遅いと諦めたことも思い出した。幹部候補に応募し、約400人の中から選ばれ、10年間務めた丸紅を退職して郷里に戻った。「地元からJリーグチームが誕生するプロセスに関われるチャンスだと決断した」という。

 妻と生後3カ月の長女の3人家族。妻と長女は、コロナ感染予防のため石川県の妻の実家で過ごしており、月に数回しか会えない状況だという。「一日も早くコロナが終息して、3人一緒に暮らしたい」と話す。

 選手らと地域イベントへの参加やサッカー講習会、市と連携した鈴鹿シティマラソン運営協力など、地道な活動を続けている。活動を通して知名度を上げ、地域社会を巻き込み、地域の皆さんと共に県初のJリーグチーム誕生に向けて前進していきたいと話す。

 経営面では、チームのホームページを通じて広告商品を買うことで得たポイントを寄付してもらい、チームを支える「ポイ活」で、支援スポンサーだけに頼らない自立したサッカークラブを目指す新たなビジネスモデルの構築を進めている。「Jリーグ昇格を数年以内に果たしたい。満員の観客の声援を受けて躍動する選手らの勇姿を夢見ています」と語った。

略歴: 昭和56年生まれ。平成17年中央大学卒業。同年「丸紅」入社。同21年経営学修士(MBA)資格取得。同27年「アンリミテッド」入社。同年鈴鹿商工会議所青年部入会。令和2年「アンリミテッド」社長に就任。