鈴鹿市住吉の代車専門レンタカー「スパイラルネット」は、8年間勤務した名古屋市の大手レンタカー会社から独立し、同社の鈴鹿店として平成22年に創業した。自動車販売会社や保険会社と連携して、事故や故障修理時の代車を提供している。
創業から11年目の現在、県内外9店舗の従業員約70人が1000台余の所有車で事業を展開し、迅速なサービスで顧客増を目指している。本業に加え、地元からJリーグ加盟を目指すサッカークラブ「鈴鹿ポイントゲッターズ」のメーンスポンサーとして、また、国内最高峰のモータースポーツ「全日本ラリー」のスポンサーとしても地域の活性化を後押ししている。
京都府与謝郡の専業農家で、3人きょうだいの次男として生まれた。幼いころから、大好きな祖父のそばで田んぼや畑仕事を一日中でも手伝っていた。小中時代には、祖父に農耕機やチェンソーの操作などいろいろなことを教わった。「飲み込みが早い、お前は忍耐強いと褒められるのがうれしくて頑張った」と懐かしむ。
小中高と野球に打ち込み、高校では仲間と甲子園を目指した。「京都大会の開幕投手としてマウンドに立ち、コールド勝ちした。京都代表にはなれなかったが、仲間と流した汗と涙は青春の貴重な1ページです」と振り返る。
卒業後は名古屋市の名城大商学部第2部(夜間部)に進学した。勉学の傍ら、昼間は建設業や引越し業などで働いた。時給の高さで選んだ日雇い仕事は決して楽ではなかったが、どんな仕事でも誠心誠意を込めて一生懸命働いた。そんな姿を見た担当者から「明日も来てほしい」と頼まれるようになった。
大学の4年間で、やればやった分だけ評価されるという仕事に対する精神が養われ、現在に生かされているという。「人にできることが自分にできないことはない。努力あるのみ」と確信した。
卒業後は、名古屋市に本社を置く大手レンタカー会社に就職。8年間、休日も返上するほど無我夢中で働いて実績を積み上げ、30歳で独立を決意し「スパイラルネット」を創業した。
大手の競合他社がシェアのほとんどを占める中、ゼロからの出発だった。飛び込み営業で、何度断られても諦めず足を運ぶうち、担当者の信頼を得られるようになり徐々に受注が増えてきた。当初は、代車の後部トランクに折り畳み自転車を積んで届け、帰りは自転車で戻っていた。数年で事業を軌道に乗せ、県内に6店舗、滋賀県に3店舗の増設に併せて従業員と所有車も増やした。
いつ起こるか分からない事故や故障。現場へのいち早い代車配送が顧客の不安解消につながると年中無休で営業している。「お客さまが第一。努力を怠れば会社は存続しない」―全従業員の意識徹底を図り、今年度から営業職に年俸制度を取り入れた。
妻と子ども3人の5人家族。たまの休日は、所有するレジャーボートで釣りをしたり、庭でバーベキューをしたりして過ごすという。「分身のような子どもたちの成長が何より楽しみ。子育ても家庭も任せっきりの妻に感謝を伝えたい」と話す。
「目の前のチャンスをしっかりとつかまえて全力で取り組み、常に我が社の存在意義を追い求めていきたい」と目を輝かせた。
略歴: 昭和55年京都府生まれ。平成14年名城大学商学部2部卒業。同年名古屋市の大手レンタカー会社入社。同22年「スパイラルネット」創業。