-超一流メーカーの部品も 一度もリストラなく社員守る- 「ちなみ」社長 因政史さん

 菰野町千草の株式会社「ちなみ」は、昭和40年に父茂男さん(84)がいなべ市大安町で「ちなみ鍍金工業所」として創業。農機具や家電メーカーの2次下請けで、鉄のプレスや部品のめっき加工を母みどりさん(78)と従業員数人で手掛けてきた。平成9年、会長に退いた父を継いで社長に就任後、自動車や自販機、家電メーカーとの取引を拡大して業績を伸ばしている。

 いなべ市で4人きょうだいの長男として生まれた。仕事が忙しかった両親に代わって、祖父母にかわいがられて育った。幼いころから「後継ぎ」と周囲に言われることが重荷だったが、高校卒業を前に大学進学より家業を継ぐことを選んだ。修業のため、父の紹介で名古屋市の大手鍍金会社に入社した。

 100人もの社員が働く機械化の進んだ工場と、職人の技で手作業をする実家工場とのギャップに驚き、時代の進歩についていかなければと実感した。めっき加工をする機械に製品の出し入れをする操作や薬液の配合などを3年間で修得し、21歳でちなみに入社した。

 機械化を望まない職人気質の父と意見が衝突するばかりだったが、半年ほどで「もう、お前の好きなようにやれ」と父は現場仕事から退いた。その後は、納期が迫った製品の加工に追われ、やるしかないという思いで夜遅くまでがむしゃらに働き、作業を自動化するための機械を1基ずつ導入し始めた。

 平成9年に経営を任されてからは、機械導入と工場の増設に伴って社員も増やしてきた。毎週月曜日の朝礼時には、品質や納期などの約束事を守ることが顧客の信頼につながると訓示する。「お客さまと地域に必要とされる会社」「お客さまと社員が共に成長、発展する」など4カ条の経営理念を50人の社員全員が唱和している。

 「会社を大きくすることより、社員に安心して働いてもらえる会社が最優先」だとして、雇用を守るためにしっかりとした経営計画を立ててきた。「良い得意先に恵まれてきたおかげで、これまで一度もリストラをせずに社員とその家族の生活を守ってきたことが何よりの誇り」と話す。

 息子2人には、好きな道に進むよう話してきた。27歳の長男は大阪で調理士として働きながら独立を目指している。25歳の次男は父を継ぐべく、津市の鍍金会社で修業後、1年半前にちなみに入社した。

 現在は、世界のトヨタをはじめ超一流メーカーの部品も手掛けている。「『ここで働けて良かった』と言ってくれる社員もおり、将来は子どもも働かせたいと思ってもらえるような会社にしたい」と意欲を語った。

略歴: 昭和38年生まれ。同56年県立朝明高校卒業。同年名古屋市の大手鍍金会社入社。同59年ちなみ入社。平成9年ちなみ社長に就任。同12年中小企業家同友会桑名支部入会。同29年県鍍金組合副理事長就任。