四日市市西坂部町の水谷商店あおい製陶所は、昭和20年に母方祖父の故磊(たかし)さんが同市滝川町で創業した鉄工所が母体。萬古焼の窯や原料をすりつぶす機械の製作を手掛け、創業から約20年後には植木鉢や花器、和洋食器などを製造する窯業部を新設、問屋を通して全国に出荷するようになった。
平成12年、亡くなった祖父を継いで2代目となった。現在は、自作の釉薬(ゆうやく)にこだわった耐熱陶器を中心に、萬古ならではの和の器を追求している。また、「象山」の号を持つ陶芸家としても、創作に指導にと活動の幅を広げている。
同市滝川町で2人きょうだいの長男として生まれた。幼いころからものづくりに励む祖父の姿にあこがれ、大好きな祖父の傍らで物作りの楽しさを知った。「小学校の卒業文集に、大きくなったら陶芸家になるとつづった夢が実現するとは」と懐かしむ。
小中時代は剣道に励み、高校と岐阜経済大学時代は硬式テニスに打ち込んだ。大学1年の5月、岐阜県大会で準優勝したが、その翌月、帰省中のバイク事故で大けがを負った。2カ月余の入院とリハビリを経て、復帰を試みたが以前のように体が動かないことを実感した。テニスを諦めると同時に大学も中退して、実家に戻った。
反対する両親を説得して、祖父の跡を継ぐべく県窯業研究室に通い、土の配合から形成、釉薬、焼成まで焼物の基礎を1年間学んだ。修了後は、型成形の土鍋や食器作りを祖父に教わる傍ら、菰野町の陶芸家堀野証嗣氏に師事してろくろ成形の茶わん作りに励み、茶道や箱書きのための書道も習い始めた。
土鍋の生産量日本一の萬古焼製造元の1社として、祖父は他社と競合するより、手間を惜しまず品質にこだわった良い仕事で生き残りを図ってきた。料理旅館や料亭向けに考案した1人用土鍋、遠赤外線効果に着目して開発した業界初の火山灰釉薬を使った陶板や遠赤リングはヒット商品となった。
人生の師だった祖父が75歳で亡くなった。現在は、祖父が実用新案特許を取った遠赤リングの改良や、火山灰釉薬を使った焼物ブランド「蘇水焼」を熊本県の原料会社と立ち上げて、新商品の開発とネット販売にも力を注いでいる。
妻英美さん(32)と雄ネコ2匹の家庭。太めのトラとシロが家中を駆け回り、じゃれ合っては2人を笑顔にしてくれる。休日は、本場の讃岐うどんを食べに香川へ、新鮮なすしを食べに福井へと、おいしいと評判の店の噂を聞くと、それを確かめにどこにでも出掛ける。それぞれの料理を引き立てる器からヒントを得ることもあり、食器を見るのも楽しみのひとつだ。
「誰もやらないことに挑戦し続けた祖父の遺志を継ぎ、時代のニーズを敏感に捉えながら食卓を豊かに演出する器作りを追求していきたい」と語った。
略歴: 昭和52年生まれ。平成9年岐阜経済大学経営学科中退。同年水谷商店あおい製陶所入社。同12年水谷商店あおい製陶所社長就任。同22年萬古陶磁器工業協同組合理事就任。同26、27年放射能汚染水処理用陶磁器ブロック発明で特許取得。