津市雲出長常町の「ヒラマツ」は祖父の故正さんが昭和26年に同市八町(現津新町)で創業した農機具修理とミシン部品を製造する「平松鉄工所」が前身。その後、戦時中に飛行機整備士だった祖父が考案した移動式自動車洗車機や全自動門型洗車機の製造販売を始め、父正彦さん(66)の代に社名を「ヒラマツ」に変更、全国に洗車機の販路を拡大して家業から企業へと転換した。
平成25年、顧問に退いた父から経営を引き継いだ。高速道路などの大型橋梁部品を製作する鋼構造物製造部、バス会社や運送会社、鉄道業界向けの業務用洗車機を製作する機械装置部に加え、同27年には同市観音寺町に生活介護施設を開設、新たに介護福祉事業に参入した。
津市で3人兄弟の長男として生まれた。初孫だったこともあり、同居する祖父母に特にかわいがられて育った。野球好きの父の影響で、小学生になってからソフトボールを始めた。中高一貫の海星中学に進学後、6年制の生徒は野球部に入れない規則を知り、甲子園への憧れはあえなく消えた。中3からは仲間とバンドを組み、高2まで学園祭やライブハウスなどで演奏を披露してきた。
高校卒業後は就職しようと思っていたが、担任や母の勧めで進学を決意して受験勉強に励み、兵庫県の甲南大法学部に進学した。経営法学科で学ぶ傍ら、アルバイト代で手に入れた中古車で、友人らとドライブに出掛けスキーやスノーボードを楽しんだ。「大学4年間の収穫は生涯の友ができたこと」と振り返る。
卒業後は大阪の大手リフォーム会社に就職し、泉佐野支店に配属された。厳しい営業環境に耐えられず同期入社の21人中9カ月間で18人が辞め3人だけが残った。正月休暇で帰省した折、父にその状況を話すと、ヒラマツの社員として協力会社への出向を提案してくれた。「しばらくは外の世界を経験してこい」という父の言葉がうれしかった。
ヒラマツ製洗車機を販売する千葉県の協力会社に出向し、関東圏での販路拡大のための営業に4年間携わった。その間、26歳の時、地元千葉出身の尚子さん(37)と結婚。翌年、長女の誕生を機にヒラマツに戻った。
それまで、洗車機のメーカーとして販売会社とは協力関係にあったが、出向先で培った営業力で直接注文を受けるようになり、販売会社や仕事が煩雑になった社員との間に摩擦が生じ始めた。社長と解決策を話し合い、「労使の信頼関係こそ企業発展の原動力」を指針として社員や販売会社に理解を求め、会社を前に進めていこうと結束を強めた。
平成25年、33歳で社長に就任した。年1回開催する「経営計画発表会」では、「ものづくりを楽しむ精神」という経営理念を掲げ、社員112人が前年度の重点課題を振り返り、課毎にまとめた方針を発表し今期の課題を共有している。
妻と13歳、10歳、4歳の娘3人の5人家族。コロナ禍で外出自粛が続く中、休日は庭でバーベキューを楽しんだり、夏に教えたばかりのウォータースポーツ「スタンドアップパドル」に夢中の次女と2人、早朝から海や川に出掛けたりすることもある。「居心地のいい家庭を作ってくれる妻に感謝したい」と話す。
晩年の祖父が入退院を繰り返し、介護が必要になった姿を見て、地域の人々が住み慣れた地で気兼ねなく生活できる場として生活介護施設「虹の夢津」を開設。支援が必要な人のための就労継続支援A型事業所「トモニス」を併設した。「仕事に誇りを持ち、世の中に必要とされるものに挑戦する会社を目指して社員とともに前進していきたい」と目を輝かせた。
略歴: 昭和55年生まれ。平成15年甲南大学法学部卒業。同年リフォーム会社入社。同16年「ヒラマツ」入社。同25年「ヒラマツ」社長就任。同26年中小企業家同友会理事。