菰野町千草の前田テクニカは、終戦後、祖父の故軍一さんが始めた農機具を修理する鍛冶屋を前身に昭和46年、父順治さん(79)が前田鉄工所の社名で創業した。平成19年に前田テクニカと社名を改め、同22年、会長に退いた父から経営を任された。
農機具の修理に加え、電気設備部品や産業用モーター部品などの工業製品も手掛けるようになり、現在は、眼科で使う架台などの医療機器や鉄道車両の開閉装置、業務編集用の映像機器など専門分野に特化した製品へと幅を広げ、取引エリアを全国に拡大している。
同町菰野で2人兄弟の次男として生まれた。幼少時からプロ野球選手に憧れ、工場のブロック塀で投球練習をしたり、休憩中の従業員とキャッチボールをしたりしていた。小4で軟式野球チームに入り、大学卒業後も就職した企業で軟式野球に打ち込んだ。現在も大学OBチームと町内のチームメンバーとして続けている。「皆で心をひとつに支え合う、チームワークの大切さを学んだ」と話す。
名古屋大経済学部在学中は、勉学と軟式野球の傍ら、海外旅行をするために家庭教師などでアルバイトもした。卒業後は、総合商社日商岩井(現双日)に就職し、名古屋支社で営業部門の経理を4年務め、東京本社の主計部に転勤になった。28歳の時、父親が体調を崩したと連絡があり退社して実家に戻った。
戻ってこいとは言わなかった父が、「可能性を広げて、お前らしい何かをやれ」と迎えてくれた。家業に入社後は、プレス加工から金型製作、CAD製図、製品検査、生産管理など1年余りの現場研修を経て、営業を担当するようになった。工作機械メーカーの後継者研修を受講し、これまで培ってきたデータやマニュアル作りの知識を生かして環境や品質に関する国際標準認証も取得した。
取引品目を増やすために新工場を増設し、取引先を広げることでITバブルに続くリーマンショックと、景気の好不況を乗り切ってきた。3歳年上の兄が製薬分野の研究職に進んだため、祖父から父へとつないできた家業を引き継ぐことになった。
妻と11歳の長女、8歳の長男の4人家族。3年ほど前、ネコ好きの長女にせがまれて「里親探しの会」の紹介で雄ネコのミントを家族に迎えたが、夫婦共働きのため近くに住む妻の実家に預かってもらっている。1人暮らしの義母は「孫たちがいつも顔を見せてくれるし、ミントのおかげで毎日が楽しい」と喜んでくれている。
「中部から宇宙へ」をテーマに、異業種企業14社が技術連携をする新たな宇宙産業プロジェクトにも参入している。「父が掲げた経営理念『希望・工夫・感謝』を継承し、常にどうすればできるかを考え、挑戦することを通じて、社員40人と共に成長していける会社を目指したい」と熱く語った。
略歴: 昭和47年生まれ。平成7年名古屋大学経済学部卒業。同年日商岩井(現双日)入社。同12年前田テクニカ入社。同22年前田テクニカ社長就任。同29年県中小企業家同友会総務委員長就任。