-四日市から芸能を発信 市活性化目指し幅広く活動- 「ジェイライン」社長 中原弘貴(マック中原)さん

【「四日市から文化・芸能を広く発信していきたい」と話す中原さん=四日市市山之一色町で】

 四日市市山之一色町で「ジェイライン」を平成24年に設立した。屋内コンサートや野外イベントの舞台演出、結婚式などの総合プロディースを手掛けている。また、市内にライブカフェやカラオケ喫茶など4店舗を展開している。

 名古屋市で2人兄弟の長男として生まれ、3歳の時に父親の実家がある四日市市に移り住んだ。共働きの両親に代わり、幼少時は祖母が世話をしてくれた。「面倒見が良く、地域の人々に慕われ、バイクをさっそうと乗りこなす祖母が誇らしかった」と懐かしむ。

 小学3年のころ、大人気だったものまねタレントに憧れた。録画して何度も練習しては家族や学校の友だちに披露し、笑いを取ることが楽しく、いつか芸能人になろうと心に決めていた。高校時代は仲間とバンドを組み、ギター演奏と歌に打ち込んだ。

 卒業後は配管資材会社に就職したが、芸能界に入る夢をあきらめられず3カ月で退職。単身上京し、バンド活動の経験を生かして新宿歌舞伎町でギターの弾き語りをするようになった。4年目に元巨人選手の中畑清氏にデモテープを聞いてもらったことがきっかけで、日本テレビのレコード会社バップレコードから「Fight!」でメジャーデビューを果たし、シンガーソングライターとして活動の幅を広げるようになった。

 自作曲「卒業の時」が四日市出身の映画監督瀬木直貴氏の目に留まり、「いずれの森か青き海」のイメージソングに選ばれた。映画の舞台となった四日市での試写会の司会で帰省する機会が増えた。シャッター街となった市中心部の様子に衝撃を受け、以前のにぎわいを取り戻すために自分にできることがあるのではと考え、活動拠点を東京から四日市に移した。

 四日市に戻ってからは、FM三重や三重テレビなどのパーソナリティーを務める傍ら、ボランティアで毎月1回、商店街で音楽イベントを開くようになった。また、大四日市まつりや市制111年の記念イベントの実行委員長としてステージを盛り上げるなど、市活性化への幅広い活動が評価され、平成26年に四日市観光大使に任命された。

 音楽イベントで知り合った舞台の音響や照明の仕事をする河本正さん(48)と親交を深め、2人で「ジェイライン」を起業。機材搬入から設営、舞台演出、監督までをワンストップで提供する総合プロデュース会社とした。昨年9月の市制120年記念イベント「四日市徹夜踊りの祭典」では、若者から高齢者まで延べ5千人の参加者を歌と軽妙な司会進行で朝まで盛り上げた。

 このほど、市内に150人ほどを収容できるライブハウス「新笑宴」をオープンした。「40歳を迎える節目の年。これまで交流してきたミュージシャンやお笑い芸人、舞台俳優に出演依頼するとともに、才能豊かな若者らの発表の場として支援し、四日市から文化・芸能を広く発信していきたい」と意気込んでいる。

略歴: 昭和53年名古屋市生まれ。平成9年三重県立四日市四郷高校卒業。同21―30年Live&Cafe「おとかふぇど~ん」など4店舗開店。同24年ジェイライン設立、社長に就任。同26年四日市観光大使就任。