-働きやすい職場環境を 信頼される100年企業目指す- 「稲垣鉄工」社長 稲垣法信さん

【「職人集団として信頼される100年企業を目指したい」と話す稲垣さん=四日市市広永町で】

 四日市市広永町の稲垣鉄工は、昭和51年に父圭亮さん(80)が創業。建設機械の修理や電柱金具の溶接、グレーチング製作から、病院、工場などの建築鉄骨製造へと移行してきた。平成26年に父から経営を引き継ぎ、現在は、東京五輪関連の建設工事も視野に、東海、関西、関東へと取引エリアを拡大している。

 同市山村町で4人きょうだいの次男として生まれた。小学校の帰り道にある会社に寄って、忙しく働く両親の姿を見て育った。納品に行く父が運転するトラックの助手席に乗せてもらうのが楽しみだった。「運動会に来てもらったこともなく、友だちの家族と食べた昼食は寂しかったな」と振り返る。

 父の勧めで進学した桑名工業高校材料技術科で学び、夏休みには、実家の工場で部品作りのアルバイトをした。3年間でガス溶接、アーク溶接、危険物取扱責任者などの資格を取得し、卒業後は桑名市の水谷建設に就職した。東日本支社に配属され、福島と群馬両県で高速道路やゴルフ場建設などに携わってきた。

 21歳の時、「人手不足で家業が厳しい状態だ」と、経理担当の姉から知らせがあり、水谷建設を退職して実家に戻り、稲垣鉄工に入社した。早朝から夜中まで、ベテラン職人に教わりながら、納期が迫った部品の組み立てや溶接作業に追われた。営業から、見積り作成、図面作成、工程管理までをこなすようになり、25歳で工場長になった。

 平成20年のリーマン・ショック後、仕事が激減した同業者の廃業や人員削減が増えた。この苦境を飛躍のチャンスと捉え、離職を余儀なくされた人材を採用し、新規開拓営業に奔走して仕事を得てきた。総合建設会社(ゼネコン)と直で取引ができるようになり、仕事も安定してきた。「厳しい時期を共に乗り越え、支えてくれた従業員に心から感謝です」と話す。

 「鉄工一筋人生かける」という父の精神とともに、自身の座右の銘「努力に勝る天才なし」に倣って、こつこつと実績を積み上げていく決意の下、3年前に父から経営を引き継いだ。働きやすい職場づくりのため、空調服の貸与や有給休暇を気兼ねなく取れるように配慮した。従業員1人1人の意見をもとにした労働環境の改善によって働く意欲を高め、それに伴って企業の発展がついてくると考えている。

 妻美香さんと小学生の2男1女、義母の6人家族。3人の子どもたちは、自分が独身時代にやっていた空手に興味を持ち、休日は親子で道場に通うようになった。末娘の入学を機に昨年、PTA会長を任された。「子どもたちには、自分のような寂しい思いをさせたくない」と、仕事と家庭の両立を心に誓った。

 昨年12月、従業員とその家族、OBら約60人と創業40周年を祝った。「人が活動する建物の安全・安心の根幹を担う鉄骨加工業者の使命感と責任感を持ち、職人集団として信頼される100年企業を目指したい」と語った。

略歴: 昭和49年生まれ。平成4年桑名工業高校材料技術科卒業。同年水谷建設入社。同7年稲垣鉄工入社。同23年県鐵構工業協同組合副理事長就任。同26年稲垣鉄工社長就任。