鈴鹿市長澤町の「伊勢抹茶」は、亡き曽祖父佐太郎さんと祖父馨さんが昭和10年に始めた茶農家「鈴鹿カネ半」が前身。時代の進歩とともに茶葉の収穫は、手摘みから袋付き刈りばさみ、動力ばさみ、自走式茶刈り機へと機械化が進み、平成11年には県内初のバリカン式乗用型摘採機を導入した。
平成22年に3代目の父昭夫さん(77)から経営を引き継ぎ、同29年に法人化して社名を「伊勢抹茶」とした。同時に、それまで使ってきた製茶機械を、抹茶の原料となるてん茶を製茶するてん茶炉に総入れ替えし、てん茶生産に転換した。現在は、京都の抹茶問屋に年間約65トンを卸している。
鈴鹿市長澤町で2人きょうだいの長男として生まれた。幼少時は、忙しい両親に代わって、かわいがってくれた祖父母と離れるのがいやで1年間不登園児だったという。小3からそろばん教室、小5からは軟式野球に打ち込むようになった。将来、どんな人になりたいかをつづった卒業文集には①プロ野球選手、②総理大臣、③製茶業と書いた。
大きくなるにつれプロ野球選手や総理大臣は無理だと気付き、両親のように夫婦一緒に仕事ができる家業を継ぎたいと思うようになった。高校卒業後は、神奈川大に進学し、勉学の傍ら軟式野球部で練習に励んだ。2年の時、マネジャーとして入部してきた利香さんと出会い、卒業前に結婚した。
卒業後は2人で静岡県の製茶問屋に就職し、茶葉の仕入れから選別、ブレンドなど製茶の基礎を1年間修業後、実家に戻った。両親の仕事を手伝いながら、近隣の後継ぎがいない茶農家の畑を借り受け、生産規模を拡大するとともに機械化を進め、新工場を建設した。
国内での茶の消費が伸び悩む状況の中、海外輸出を視野に県農林水産課や製茶機械メーカーの研修を受け、農産物の安全性や環境保全の取り組みを認証する「JGAP」を取得。製品コストは上がるが、高値で取引されるてん茶への転換を決め、従来のもみ工場の機械を総れんが造りのてん茶炉に入れ替えた。
春秋の農繁期は収穫から製茶、出荷までパート従業員らの力を借りて24時間操業になる。出荷したてん茶は問屋で石臼などでひいて、色鮮やかで香り高い抹茶に加工される。3月からは、化粧箱入りの伊勢抹茶30グラム入り1缶、1800円(税抜き)の通信販売を開始した。
妻利香さんと長女和可菜さん(23)、愛犬3匹のにぎやかな家庭。和可菜さんは、家業を継ぐべく畑作業や経理事務を研修中、家を離れ京都で大学に通っている長男将希さん(21)も、将来は両親の仕事を引き継ぎたいと言っている。「好きな道に進んでほしいと思っていたが、親にとってはありがたいこと」と話す。
現在は、来年5月の稼働に向けて、県内最大規模となる4基のてん茶炉を備えた第2工場を建設中。「将来は生産から加工、販売までを自社でやっていく6次産業化を目指し、伊勢抹茶を確固たるブランドに育てていきたい」と意欲を語った。
略歴: 昭和46年生まれ。平成5年神奈川大学卒業。同6年鈴鹿カネ半製茶入社。同12年日本茶インストラクター資格取得。同13―14年全国茶生産青年会会長。同22年鈴鹿カネ半社長就任。同27年JGAP認証取得。同29年伊勢抹茶株式会社に社名変更。