津市阿漕町の山二造酢は明治20年、初代茂吉さんが同市岩田町で創業した。大正期に現在地に工場を建て、全国に出荷するようになった。平成21年、父弘善さん(79)から経営を引き継ぎ、5代目となった。
創業当時から、酢酸菌を使う醸造法を代々継承。発酵と熟成にじっくりと時間をかけて育み、芳醇(ほうじゅん)で深みのある、まろやかな味わいの酢を生産している。酢の可能性を広げようと独自に開発した飲むフルーツ酢シリーズは、健康志向の高まりもあってヒット商品となり、海外にも進出して業績を伸ばしている。
津市で3人きょうだいの長男として生まれた。姉2人の後の男子誕生に、祖母は「跡取り息子が生まれた」と大喜びだったという。幼少時は、祖母に礼儀作法や勉学の大切さを教わりながら育った。「学級委員になったと報告した時の祖母の喜ぶ顔がうれしかった」と懐かしむ。
中学時代はプロ野球選手に憧れて野球に打ち込み、高校では野球部を応援する側の応援団長を務めた。また、バンド活動をしていた姉に刺激を受け、両親にドラムセットを買ってもらい友人らとバンドを組んで、ハードロックにのめり込んだ。
「家業は継がず、音楽の道に進みたい」という思いから、親元を離れて東京の帝京大学に進学した。誰にも気兼ねなく音楽ができると意気込んで軽音楽部に入部。先輩部員らの技術の高さに驚きながらも、好きなことがやれる幸せを感じていた。3年生で、音楽イベントや合宿の企画、他大学との交渉などを任され、視野が大きく広がった。
4年生になり、親しい仲間らが就職活動に奔走する中、自身の恵まれた環境に思い至った。上京してきた父に「卒業後はどうする」と聞かれ、「家業を継がせてください」と即答した。ほっとしたような父の表情に、自分勝手な息子を見守ってきてくれた大きな愛を感じた。
卒業後は、「しばらくはよそで働いてこい」と言う父の紹介で、愛知県にある醤油(しょうゆ)醸造元で修行を始めた。2年後、父が体調を崩したと連絡があり、実家に戻って山二造酢に入社。熟練職人らの指導を受けながら、湯で溶いた酒粕を麻袋に入れて絞る作業から仕込み、発酵、熟成、瓶詰めまでの工程の実習を重ね、腕を磨いた。
平成21年、会長に退いた父から経営を任された。突然のことに戸惑ったが、「会社を守り、家族のような従業員17人の生活を守っていこう」と決意した。それからは、調味料としての酢だけでなく、イチゴやサクランボなど17種のフルーツ酢や黒酢ドリンクなどを次々に開発した。
疲労回復や美肌効果が期待できるとあって、若い女性にもファンが増えている。また、アメリカや台湾、マレーシアなどで開かれるジャパンフェアで紹介。「これがお酢なの」「爽やかでおいしい」と、海外の人々にも大好評を得ている。
事務を担当している妻いせさん(44)と長女里紗さん(12)、長男一敬さん(11)、生後7カ月の愛犬ペコ(ミニチュアシュナウザー)の4人と1匹の家族。「ペコを中心に笑顔が広がる温かい家庭。出張が多く、子育てと家事、そして仕事面でも支えてくれる妻には頭が上がりません」と笑顔で話す。
「今後は、調理用の酢と飲む酢の海外での販売を強化するとともに、6次産業化を目指す果物農家と加工部分での連携に力を注いでいきたい」と意欲を見せた。
略歴: 昭和48年生まれ。平成9年帝京大学経済学部卒業。同年味噌・醤油醸造元入社。同11年山二造酢入社。同21年山二造酢社長就任。同24年津青年会議所理事長就任。同25年日本青年会議所三重ブロック会長就任。