四日市市日永西の四日市事務機センターは、昭和49年に同市石塚町で父幸男さん(73)が創業した。官公庁を中心に、謄写版や文具などの事務機全般の販売と修理を手掛けてきた。時代の進歩とともに、コピー機、パソコン、プリンターなどに移行、平成23年に父から経営を引き継ぎ、現在は北中勢地区の民間企業を中心に業績を伸ばしている。
鈴鹿市で2人きょうだいの長男として生まれた。幼少時は、田んぼや川で泥だらけになって遊んだり、ヘビを捕まえたり、けがをして何度も救急車の世話になったりとわんぱくな少年だった。
いつからか漠然と父の仕事を継ぐのだろうという意識があり、高校卒業後は愛知県の情報処理専門学校に進んだ。情報システムやセキュリティ、プログラミング、ソフト開発などを修了し、父の紹介で名古屋市のキヤノン販売に就職した。
新規開拓の飛び込み営業を担当したが、10カ月経っても成果は得られなかった。上司から「もう帰って家業を継げ」と言われたが、「続けさせてほしい」と頼み込んだ。その上司の計らいで、営業実績と心境を書いて毎月送ることを条件に、大阪支店への転勤が決まった。心機一転、新たな地で1日70軒の企業回りをするようになった。日々の思いをつづることで自身を見つめ直すことができ、6カ月間でコピー機20台を売り上げた。上司から初めて「よく頑張ったな」と、ねぎらいの言葉をかけられ胸が熱くなった。
妻智春さんとの結婚の仲人を務めてくれた上司から「息子と同名なので、他人と思えず厳しく接した。毎月の手紙はご両親にファクスしていた」と聞き、人生を変えてくれた最良の上司との出合いに感謝した。
結婚を機にキヤノン販売を退社し、四日市事務機センターに入社した。入社後は、メーンの取引先を官公庁から民間企業に移行するとともに、人材育成にも力を注ぎ、社長就任後は業績を倍以上に伸ばした。
販売したOA機器の故障で、滞っている仕事を1分でも早く復旧させることが顧客の信頼を得ることにつながる。これまでの担当者制から、通報が入ると修理スタッフに一斉メールを配信し、近くにいる者が急行するシステムに変えた。「素早い対応で助かった」などの感謝の言葉が、サービス向上への原動力となっている。
通報から修理完了までに掛かった時間をクラウドシステムで管理し、平均60分以内を目標に設定した。現在、中部地区7県のキヤノン保守メンテナンス・ランキングで1位。「救急車よりも速く」を合言葉に、チームワークの力でいつか全国一にと、35人の社員全員が意気込んでいる。
智春さんと高2、中1の息子の4人家族。仕事人間だったが、子ども2人がサッカーに打ち込み成長する姿に心を打たれ、休日は送迎や応援のために県内外に出掛けるようになり、家族と過ごす時間を大切にするようになった。
「仕事を好きにならないと、いい仕事はできない」という父の志を胸に刻み、「飽くなき探求心を持ち、今後は県全域に商圏を拡大して、ナンバーワンの事務機会社を目指したい」と目を輝かせた。
略歴:昭和49年生まれ。平成6年名古屋スクール・オブ・ビジネス卒業。同8年キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)入社。同23年四日市事務機センター社長就任。同26年ネットワークトップアシスト社長就任。