大手菓子材料卸会社を退職し、四日市市西阿倉川で喫茶「ナナン」を平成26年にオープンした。店内にはカウンターとテーブルの16席が配置され、来店客はボサノバを聞きながら、薫り高いコーヒーや焼き立てのケーキでくつろぎのひと時を過ごしている。昨年末、開店5周年を迎えた。
「ゆったりと読書を楽しむひとときを」が店のコンセプト。中央の大きな書架には文学書や専門書、歴史書、雑学書などを並べている。自分の本を持って来店する常連客も増え、「知らないうちにもうこんな時間」「居心地が良くて寝てしまった」と笑顔で帰って行く。
カウンター奥のボードには、趣味で収集したマイセンやロイヤルコペンハーゲン、ウエッジウッドなどのカップがずらりと並び、好みのカップでコーヒーや紅茶を楽しめる。文学や音楽から菓子談義までさまざまな話題で、オーナーとの会話を楽しみに通う人も多い。
愛知県名古屋市で2人きょうだいの長男として生まれた。3歳の時、調理師だった父親が独立して四日市市に料理屋を開店した。母は女将として父を支え、忙しい両親に代わって家事手伝いの女性が面倒を見てくれたが、やはり寂しかった。眠い目をこすりながら妹と2人、店の片付けを終える両親を待っていたこともあったと振り返る。
小中時代は、読書や絵画が好きなおとなしい性格だったが、四日市商業高校に進んでからは一転して人前でしゃべることが大好きになり、クラスの人気者になった。2年生で生徒会長に選出され、2期連続で務めた。
「板場の修行は10年。一人前になって戻って来い」という父の言葉に従って、卒業後は名古屋市の割烹料理店で修行を始めた。2年半で調理師免許を取得後、同店を辞めた。何度か訪れた喫茶店で、おいしいコーヒーと音楽でもてなす接客の素晴らしさに心を奪われ、本当にやりたかったことを見つけた思いで、その老舗喫茶「英吉利西屋」に入社して16年間、無我夢中で働いた。
接客から仕入れ、人事にも携わり、本店の店長と市内2店舗のマネジャーを任されるようになり、調理師を辞めることに大反対だった両親が「そんなに好きなことなら」と許してくれた。「親の大きな愛を実感できた」と振り返る。
四日市の市街地が経済不況のあおりで急速に衰退化し、平成13年、両親が営んでいた料理屋が経営不振のため廃業を余儀なくされた。「板前就業を続けて、店を継いでいれば違っていたのか」と、後悔の念とともに飲食業の厳しさを痛感した。両親の側で暮らそうと、喫茶店勤務を辞めて四日市に戻り、菓子材料卸会社に転職した。
「倉庫に使っている2階で喫茶店を開いたら」。2階建ビルの1階で美容室を経営する妻寿美さん(51)の一言が、念願だった喫茶店の開店につながった。1年がかりで改装し、内装やインテリア、メニューなど、すべてにこだわった店をオープンした。
寿美さんが経営する美容室「おしゃれ泥棒」にかけて、「ナナンは『時間泥棒』だね」と言う常連客の言葉がうれしい。「売り上げを伸ばすことより、雰囲気を好んでくれるお客様を大切に、心に残るような接客で長く愛される店を目指していきたい」と笑顔で語った。
略歴: 昭和37年愛知県生まれ。同56年県立四日市商業高校卒業。同57年名古屋市の割烹料理店入社。同59年「英吉利西屋」入社。平成13年大手食品卸会社入社。同26年「nanan」開店。