-「全員技能士」目指す 異業種連携し切磋琢磨- 「中村製作所」社長 山添卓也さん

【「さまざまな業界と連携し、切磋琢磨しながら創造する『ものづくり』が目標」と話す山添さん=四日市市広永町で】

 四日市市広永町の中村製作所は、大正3年に曽祖父の故中村勇さんが、漁網編機メーカーとして同市四ッ谷新町(現元新町)で創業した。戦禍で焼失した工場を再建した祖父の故勇夫さんから、父の故山添勝美さんを経て、平成13年に4代目社長に就任。今年、創業103年目を迎えた。

 「空気以外何でも削ります」が同社のキャッチフレーズ。創意と工夫によって、不可能とされてきた加工に挑戦し、新たな可能性を見いだすものづくり精神の下、現在は航空機、ロケット、船舶、自動車産業用モーターなど、あらゆる物を作り出す工作・産業機械の部品加工を手掛け、業績を伸ばしている。

 同市笹川で3人きょうだいの長男として生まれ、3歳の時に下さざらい町に移り住んだ。小4からサッカーを始め、中3で名古屋グランパスのユースチーム入団に挑んだが、最終選考で振り落とされた。高校で県大会3位の成績を残したが、プロへの夢は断念した。遠征試合のたびに送り迎えをし、スタンドから声援を送ってくれた両親に、「家業を継ぎたい」と話した。

 父の勧めで大阪産業大工学部に進学し、情報システム工学科でプログラミングやシステム構築の技術を学び、柔軟な発想力を養った。卒業後、大手工作機械メーカーで研修を始めた矢先に、父が末期がんと診断された。2年間の予定を切り上げて実家に戻り、入退院を繰り返す父に仕事を教わり始めた。亡くなる少し前、「進学せずに、もっと早く手伝えていたら」と言うと、父は「会社を継いでくれることがうれしい」と笑顔を見せてくれた。

 父亡き後、24歳で社長に就任したが、ベテラン職人の退社が続出し、いきなり難局に立たされた。熟慮の末、若さという弱点を逆手にとり、未経験の若者を採用して自身も一緒に育っていこうと決めた。「めざそう!全員技能士」を掲げ、工場で旋盤や平面研削盤、複合機などの技能研修をして、年2回の技能検定を受検してもらうようになった。

 ベテラン職人の技を見て覚える時代から、丁寧な指導での技術取得へと転換した。資格手当てが増えることで、従業員らの意欲が向上した。現在、60人の従業員が「社長が、1人1人の意見や要望に耳を傾けてくれる」「定年まで勤めたい」と声をそろえる。

 妻と9歳の長女、6歳の長男の4人家族。子どもたちは、それぞれ好きなバレエやサッカーなどに打ち込み、元気に成長している。「仕事を忘れて、心からくつろげる家庭をつくってくれる妻に感謝です」と話す。

 リーマン・ショック以降、それまでの1社取引を見直して複数の企業との取引に移行し、自社ブランド製品の開発にも力を注いでいる。著名デザイナーとのコラボで、精密加工の強みを生かしたアルミのワイングラスやチタンの印鑑は「グッドデザインアワード」や「三重グッドデザイン」を受賞し、注目を集めている。

 陶磁器メーカーと開発中の「無水鍋」や、「中部から宇宙へ」をテーマに、異業種企業14社が技術連携をする壮大な宇宙産業プロジェクトにも取り組んでいる。「さまざまな業界と連携し、互いに学び合い、切磋琢磨(せっさたくま)しながら創造する『ものづくり』が目標です」と展望を語った。

略歴: 昭和52年生まれ。平成12年大阪産業大学工学部卒業。同年愛知県の工作機械メーカーで研修。同年中村製作所入社。同13年中村製作所社長就任。同14年中小企業家同友会入会。同25年中部ものづくりユナイテッド創設。