-「プロの洗濯」日々精進 同業者と団結、後進に継承へ-  「クリーニング中日」店主 掛下泰司さん

【「お客様に喜ばれ必要とされる店を目指し、日々精進していきたい」と話す掛下さん=四日市市山手町で】

 四日市市山手町の「クリーニング中日」は、父親の故八朗さんが名古屋市の大手クリーニング会社で修行後、昭和37年に創業。母親の故佐智江さんと叔父、修業時代の後輩5人と共に、本店営業に加え市内から鈴鹿市にもエリアを拡大し、個人宅や集合住宅、商店、取次店への集配で業績を伸ばした。創業から、今年で57年目となる。

 20年前、店頭での顧客対応を担当していた母が亡くなった。気持ちの支えを失った父は一線を退き、叔父と社員らは独立開業した。父から経営を引き継いだ後は、取次所も全て廃止して事業を縮小した。

 心機一転、どこにも負けない染み抜きの技術と丁寧な仕事への自負から、店舗上に「プロの洗濯」の看板を掲げた。現在は、開店前の集配と営業からクリーニング作業、接客まで全てを1人で切り盛りしている。「諦めていたシミが消えた」「大切な洋服を安心して任せられる」などの声が何よりうれしいという。

 四日市市で、3人きょうだいの長男として生まれた。クリーニングの仕事で忙しかった両親に代わって、幼少時は住み込み従業員らが面倒を見てくれた。中学の3年間はバスケットボールに打ち込んだが、進学した四日市商業高校にはバスケ部がなく、野球部に入った。

 進路相談で担任には大学進学を勧められたが、父の跡を継ぎたいという思いが強く、家業を手伝いながら、名古屋市の「クリーニング師養成学校」に通い始めた。基礎の座学と技能を1年間学び、クリーニング師、ボイラー士、危険物取扱責任者などの資格を取得し、首席で卒業した。

 卒業後は父や叔父、先輩らの指導で現場仕事や営業を学び、同業者との付き合いも任されるようになった。35歳の時、四日市クリーニング組合の青年部を立ち上げ、2年後に2代目有志13人で「心洗組(しんせんぐみ)」を結成した。

 ホテルの制服やリネン類、企業の作業着、病院のカーテンなど、個人店ではこなせないほど多量で納期が短い仕事も心洗組のメンバーが協力して受注できるようになり、22年経った今も団結心は一層強まっている。いつか店をたたむ時がきたら、自分が持つ全ての技術をメンバーの跡を継ぐ子どもたちに継承したいと考えている。

 公務員の妻初美さん(58)と長男純平さん(32)、長女智恵香さん(29)、次男翔平さん(26)の5人家族。次男は勤務する会社の寮に入っており、現在は4人で暮らしている。それぞれがやりたい仕事に就き帰宅時間もまちまちで、そろって食卓を囲むことは少ないが、たまに全員そろうと会話が弾む。

 「いつか妻と2人で新婚旅行のコースをたどりながら、長年の労をねぎらいたい」。早朝からの仕事で、家事も子育ても任せっきりだった妻に心からありがとうと伝えたいと話す。

 「お客さまに喜ばれ必要とされる店を目指し、昨日落ちなかった染みを今日は落とすぞという意気込みで、日々精進していきたい」と語った。

略歴: 昭和37年生まれ。同55年県立四日市商業高校卒業。同年クリーニング師資格取得。平成11年「クリーニング中日」代表に就任。