食材の質にこだわり ハンバーガーが起業のきっかけ おにぎりの桃太郎代表取締役 上田輝一さん

「生産者参加型の店を出店したい」と話す上田代表取締役=四日市市久保田1丁目のおにぎりの桃太郎で

 四日市市久保田1丁目に本社をもつおにぎりの桃太郎は、おにぎりや弁当、すし、うどんなどをテークアウト中心に製造販売している。

 「場を盛り上げるのが好きな、元気で明るい子どもだった」と幼少期を振り返る。小学5、6年生のころから道場に通い始めたのがきっかけで、中高時代は柔道部で活躍し、中学では県大会で優勝した経験もある。

 大学1年の時、父親が営むすし店の業績が悪化。その後、父親が心筋梗塞で急死し、家業を継ぐために中退を決意した。経験の無いまま経営を立て直すことは容易ではなかったが、母親と姉の3人で一丸となり、目の前の大きな壁に立ち向かった。

 「自分の経営の仕方が形になる商売をしなければいけない」と模索を続け、武者修行のために22歳で渡米。レストランでの皿洗いや掃除をしながら、1年を過ごした。

 「ハワイのマクドナルドで、初めてハンバーガーを食べた瞬間の強烈な印象が、いつまでも心に残った。日本でいう『おにぎり』なのだと強く感じた」と語る。この時の気付きが起業のきっかけとなる。

 帰国後2年ほどしてすし店の玄関横に設けた1・5坪の小さな出店でおにぎりの販売を始めたところ「すし屋が作るおにぎりはごはんがおいしい」と評判を呼び手応えを実感26歳で会社として本格的な事業を展開し現在は市内中心に18店舗の直営店をもつ

 「運もあったが、問題の後ろにしか答えはない。苦難を避けてはいけない」と話す。「どうせやるなら一生懸命やれ」という父親の教えを受け継いで、常に問題意識を持つことで、必要な情報をキャッチするアンテナを高くし、自分にうまく取り込み、ピンチをチャンスに変えてきた。

 ここ数年は、質の拡大に向けハンドルを切り始めた。「生産者の食材に対する熱い思いを商品化したい」と話す。おにぎりには四日市産の米、尾鷲産の塩、答志島産ののりを使う。

 食の安心安全にこだわったら、自然と地元の生産者らにたどり着いた。「今年は生産者と購入客、店の接点となるような、生産者参加型の店を出店したい。例えば朝採れたばかりの野菜を購入者の前で調理し、弁当に入れるとか」と、生産者に負けないくらいの意気込み。

 趣味は48歳から始めたというスノーボード。「とにかく速く。きれいに滑る」ことを目標に、毎朝4時に起きてのトレーニングは欠かさない。ストレッチや腹筋などで脚力と腹筋を鍛える。「80歳までは滑りたい」と爽やかな笑顔を見せた。

略歴:昭和25年生まれ。四日市市出身。昭和51年おにぎりの桃太郎設立、代表取締役就任。