面目に正しくが心情 「お客さん第1」両親に学ぶ トモHD会長 岩崎透さん

信念は「真面目に正しいことをする」と話す岩崎会長=四日市市北浜田町

 四日市市西浜田町に本社を置くトモHDは、東海3県を中心に、学校や病院、福祉施設の給食業務、企業の食堂運営、弁当の製造販売を手掛けている。平成24年に創立50周年を迎えた。

 先祖代々、呉服店を営む商人の家系に生まれた。「今でも自分の根底にある『お客さん第1』の姿勢は、両親から学んだ。代々商人の血が、脈々と受け継がれている」と語る。

 戦時中は一時鈴鹿に疎開し、終戦まで桑名で過ごした。幼少期は商売で忙しい両親の代わりに、世話係がいる裕福な家庭に育ったが、戦争で生活は一変。終戦を小学3年生で迎え、戦後の物資不足を耐えた。

 音楽好きだった父親の影響を受け、中学、高校時代はブラスバンド部に所属。バイオリンやクラリネットを担当した。父と一緒に能楽も鑑賞した。「自分が思うように、自由に表現できるのが楽しい」

 高校卒業後は、大阪の衣料品問屋にでっち奉公。修業中に店の倒産を目のあたりにし、「手形の怖さ、倒産の悲惨さを痛感した」。

 五年ほど修業した後、父親から「商売を始めるから帰ってきてほしい」と実家へ呼び戻され、両親と共に四日市火力発電所内の社員食堂や売店関連の業務を始めた。

 手探り状態での起業だったが、戦後の経済復興の流れにもうまく乗り、業績は順調に推移。「朝5時から朝食の配達をしたり、常にお客さんの目線に合わせた商売をすることを心掛けてきた」「忙しくて大変だったということはあっても、それが楽しかったし、苦労したという記憶はない」と振り返る。

 社長就任後は、「それぞれの地域を丁寧に見る」狙いで分社化した。「経営することが生きがい。もうけを追求するだけではいけない」「悪い部分を隠すから『騙(だま)された』になる。公表することで、次の方向性を見いだせるし、会社もまとまる」と洞察する。

 「真面目に正しいことをする」が信条で、「創業以来、1度も食中毒を出したことがないのが自慢」。会長就任後は、「時間的にも、全体を考える余裕が出てきた」と話す。

 気分転換は趣味の能楽。11月の発表会に向け、仲間と全力で練習に励んでいる。2年前からは「日本の伝統文化を子どもたちに残したい」と、鈴鹿市立清和小学校で「おじさん先生」として年に数回、教壇に立つ。「能には日本の故事来歴がぎっしり詰まっている。もっと多くの人に能の魅力を伝えていきたい」

略歴:昭和11年生まれ。桑名市出身。昭和37年、HD前身の中部給食に入社。平成3年、中部グループ4社の社長に就任。平成21年、トモHD会長に就く。鈴鹿能楽連盟会長。