ー誠実な仕事で信頼と実績をー 配管工事「PipeLine」社長 鎌田将吾さん

【「信頼と実績を積み重ねながら精進していきたい」と話す鎌田さん=鈴鹿市国府町で】

鈴鹿市国府町の「PipeLine(パイプライン)」は、父敏宏さん(63)が経営する配管工事会社「鎌田工業」で11年間勤務した後、平成27年に同市高岡台で独立起業した「カマダプラマー」が前身。令和2年に現在地に移転し、翌3年、法人化に伴って社名を変更した。

建設・配管工事会社の下請け業者として、大手企業のキオクシアや石原産業、昭和石油などの工場建設時の配管工事やプラントの定期修理などを手がけ、北中勢地域を中心に業績を伸ばしている。

現場では社員と協力業者全員での朝礼を欠かさない。始業前の健康チェックとともに、重いパイプをつり上げるクレーンの下には入らないことや、高所作業中の落下防止など、日々、安全面の注意喚起をしてから作業に当たっている。

松阪市の製薬会社の配管工事では、前段階の工事が大幅に遅れたため、普段なら3カ月かかる仕事を2カ月でやることになった。社員と協力業者ら皆で話し合い、残業を増やして期限内に何とか終えることができた。現場監督や元請け担当者から「無理をお願いしたが、無事完了させてくれてありがとう」と感謝され全員の絆が強まった。

鈴鹿市で自営業の父と看護師の母の下、3人きょうだいの次男として生まれた。同居する祖父母が、忙しい両親に代わって世話をしてくれた。幼少時は、兄や近所の子たちと稲わらの家を作ったり、木登りをしたりして遊んだ。「けがをして帰ると、祖母が叱りながらも優しく手当してくれたことや、祖父とタケノコ掘りを楽しんだことなどを思い出す」と懐かしむ。

小3から、漫画「キャプテン翼」や名古屋グランパスの小倉隆史選手に憧れてサッカーを始めたが、中学の3年間は野球に夢中になった。将来は、父のように建築業界で働きたいと思うようになり、津工業高校に進学した。電気科で学ぶ傍らバイク免許を取り、休日になると友人らとツーリングを楽しんだ。

卒業後、家業の「鎌田工業」に入社。先輩社員から指導を受け、鉄やステンレス、塩ビなどのパイプの種類やサイズ、固定金具の使い方、組み立て方、車両への積み込み方、溶接の技術などの配管工事の基礎をしっかりと頭にたたき込んでいった。4年ほどで、溶接士や玉掛け、移動式クレーン、足場組み立て、高所作業車運転など10数種の技能資格を取得した。

将来は父の会社を継ごうと決めていたが、その前に自分の可能性を社会で試してみたくなり、父に独立したいと打ち明けた。父は「頑張れよ」と一言声をかけ、息子と同年代の社員2人に「将吾を支えてやってくれ」と頼み、一緒に送り出してくれた。「普段は無口で感情を表に出さない父だったが、この時、それまで気付けなかった父の深い愛情に触れ、胸が熱くなった」と振り返る。

趣味はゴルフ。月に2、3回は仕事仲間や社員、友人らとコースを回る。「自然の中でプレイする爽快感、スコアを伸ばせた時の達成感は最高。ゴルフの後の交流会も楽しく、仕事への活力になっている」と話す。

令和2年、北勢地域の若手経営者らを対象に、地域社会への貢献活動を通して学び合い、共に成長することを目指す県中小企業交流会「MR」の創設メンバーに加わった。月1回、18人の会員と経営や経理、賃金、人材育成などをテーマに意見交換会を開くほか、地元スポーツチームのスタートアップ支援やボランティア活動などで親睦を深め合う中で、成長させてもらっているという。

「独立から7年の駆け出しだが、『パイプライン』を指名してもらえるよう、誠実な仕事で信頼と実績を積み重ねながら精進していきたい」と熱く語った。

略歴: 昭和61年生まれ。平成16年県立津工業高校卒業。同年「鎌田工業」入社。同27年「PipeLine」創業。令和2年県中小企業交流会「MR」書記就任。