昭和54年、四日市市川原町に「人形の勢玉」を創業。子どもの健やかな成長を願う、衣装着や木目込みの親王飾り、段飾りのひな人形と、鎧(よろい)・兜(かぶと)飾り、武者人形などの五月人形を中心に展示、販売をしている。同56年に宝飾品ショップ「ジュエリーユマエ」を増設、平成12年から結納飾りも取り扱っている。
津市白山町で4人きょうだいの長男として生まれた。自然豊かな環境で育ち、中学生のころは、雲出川の川底に竹で編んだ筒状の道具モンドリを仕掛け、翌朝、見に行くとウナギがどっさり捕れていた。「いい時代だった」と懐かしむ。
双川中(現・白山中)から津高に進み、野球部に入ったが、夜遅くまでの練習で、勉強との両立が難しくなり断念した。その後、音楽部に入ってコーラスの練習に励み、2年生の時、合唱コンクールで県代表に選ばれ中部地区大会に出場した。このときの仲間約30人と7年前から交流が再開した。月1回練習を重ね、障害者施設や幼稚園を年に3―4回訪問して、コンサートを開いている。
三重大に進学し、水産学部で水産加工品を研究する傍ら、高校時代に断念した野球に打ち込んだ。「エースピッチャーとして東海リーグで活躍できたことと、2年生で参加した観海流遠泳で、贄崎から白塚までの12㌔を完泳できたことが忘れられない思い出です」と話す。
卒業後は、春日井市の食品会社研究室で1年、名古屋市の出版会社で5年間の営業職を経て、四日市市の発泡スチロール製品メーカー「日本ケミカル工業」に就職した。同社で取り扱っていた日本人形の胴体に着目、素材だけでなく完成品の販売を提案し、増設された日本ケミカル商事部として人形店の経営に乗り出した。平成2年、36歳で独立して「エヌシービー」を設立、「人形の勢玉」を開業した。
「物販とサービスを通じ、お客さまの喜びを喜びとする」基本理念の下、専門店ならではの品質と品ぞろえ、どんな相談にも答えられる知識を持って、従業員7人と共に笑顔の接客に努めている。「節句の伝統文化を絶やしたくない」と、設立から20年間、地域社会への貢献事業として、四日市、菰野・朝日・川越町の幼稚園に、毎年、ひな人形やこいのぼりセットを寄贈してきた。
若い世代の日本文化に対する意識の低下や、住宅事情の変化とともに、ひな人形も小型化してきた。人形や宝飾品だけでは難しい時代になってきたことから、たんすに眠る着物を洋服に仕立て直すリフォームコーナーや、水素水生成器などの美容・健康分野への参入も企画し、総合的な発展を目指している。「創業から37年、従業員と妻の支えで仕事に専念してこられたことに感謝です」と語った。
略歴:昭和18年生まれ。同41年三重大水産学部卒業。同年松永食品入社。同42年日本実業出版社東海事業所入社。同47年日本ケミカル工業入社。平成2年エヌシービー設立、社長に就任。同23年―24年ライオンズクラブ国際協会334―B地区キャビネット幹事。