四日市市日永の四日市モータース商会は、初代木田耕吉さんと丸善タクシーの共同出資で、県内初の自動車部品販売会社として昭和5年に創業。四日市空襲、伊勢湾台風などを乗り越えて、今年85周年を迎えた。
平成13年、50歳で3代目に就任。現在は四日市、津、伊勢など県内5つの支店、営業所を拠点に業績を伸ばしている。自転車、オートバイから自動車、トラック、大型建機まで、国産と外国産全車種の制動、外装、エンジンの新品、中古、再生部品・用品など、取り扱う補修部品は数千万種。整備・板金工場などからのニーズに応えている。
津市で織物工場を営む両親の下、8人兄弟姉妹の末っ子の4男として生まれた。幼いころから学業優秀で、高田中から津高に進み、兄たちに倣って自宅から通える三重大に進学、農業土木を専攻した。
大学では空手部に入部して、練習に励んだ。「学校に通うというより、道場に通った4年間だった」と、懐かしむ。卒業後は、東京の大手建設会社に就職して、関東一円の高速道路、ゴルフ場の造成などに現場監督として携わり、7年後、地元に戻って起業を目指した。
30歳の時、妻英里さんの父英世さんが2代目を務める四日市モータース商会に入社。未知の分野への転身で戸惑うことばかりだったが、まず、車の型式を暗記することから始めた。空手で培った精神力と体力、持ち前の負けん気で仕事を覚えていくうちに、職種は違っても仕事に取り組む基本姿勢は変わらないことが分かってきた。
分厚いカタログから部品1つ1つを調べる手間を省こうと、2年後にはコンピューターを導入して合理化を図った。津市栗真町といなべ市に営業所を増設して、県全域をきめ細かいサービスでカバーする態勢も整えた。
「社員あっての会社。32人全員がわが子です」。慣れた仕事を続けたいという声に応えて、平成17年には、就業規則を見直して60歳定年を65歳に、同25年には70歳に引き上げた。毎朝、就業前にやっていたトイレ掃除を、社員が進んでやってくれるようになったこともうれしい。
座右の銘は、伝えるべきものを残し、変えるべきものを変えると説いた俳聖芭蕉の「不易流行」。ハイブリット車や電気自動車、水素自動車への進化に対応していくとともに、創業者の精神に立ち返ってユーザーに安心安全と快適さを提供していくことが、部品商としての本分と考えている。
4人の子どもたちには、自分の決めた道を進むようにと話してきた。長女は嫁ぎ、長男は教職、三男はJRに就職した。次男智晴さん(28)は、大学卒業後に入社し、現在、津支店長として父の跡を継ぐべく励んでいる。
「65歳を前に、そろそろ会長職に退くことを考えています。長い間、経理を担当して切り盛りしてくれた妻をねぎらいたい」と語った。
略歴:昭和25年生まれ。同48年三重大学農業土木科卒業。同57年四日市モータース商会入社。平成13年3代目社長就任。同年日本特殊陶業(NGK)三重支部長就任。同23年県倫理法人会副会長就任。