和風庭園に囲まれた数寄屋造りの老舗料亭旅館「大正館」は、大正元年、四日市市西新地で創業。明治から続いていた同市富田の料亭「霞洋館」を母体に、祖父角三さんが新規開業した。昭和20年の四日市空襲で焼失したが、6年後に祖父と父親の故喜久雄さんが再建した。
昭和43年、「大正館」と湯の山の温泉旅館「三慶園」の2店舗を任された。以来、スポーツ施設や飲食業、保険代理業、不動産業と幅広く事業拡大を図ってきた。現在は、直営を減らして、マンションやテナントビルなどの賃貸業務に移行している。
四日市空襲の5日後、4人きょうだいの長男として生まれた。5歳の時に大病を患って家族を心配させたが、その後は病気知らずで元気に育った。中部中、四日市高校の6年間は軟式テニスに打ち込んだ。中2での県大会出場は、青春時代の良き思い出として胸に焼き付いている。
父親から「家業を継いでくれ」と言われたことはなかったが、漠然と自分が継ぐものだと思っていた。進学した慶應義塾大商学部では、ホテル研究会に入った。勉学の傍ら、同大OBがやっている全国各地のホテルや旅館での研修や、都内のホテルでボーイのアルバイトなどをして経験を積んだ。
東京オリンピックの選手村での配膳係りや著名人の披露宴の給仕を手伝ったことは、特に貴重な体験だった。「特別な時間を過ごす利用者への、心のこもった接客」を、現場での経験を通して学べたことと、各地に親しい友人ができたことが学生時代の最大の収穫だった。
卒業後、若干22歳で経営を任されたが、戸惑いはなかった。お客さまあってこその商売。誠心誠意でお客さまに接するという、祖父からの精神「一期一会」をしっかりと引き継いでいこうと決意を新たにした。
おかみを務める妻光世さん(62)をはじめ、20人の従業員が、常連のお客の好みを覚え、初めてのお客の好みを聞き取り、調理場と連携して最上の料理をお出しすることと、真心を込めたおもてなしをすることを常に心掛けている。
慶事や法事、同窓会、接待など、多様な形態に合わせて、ベテラン料理長らが四季折々の旬の素材を使って腕を振るう。季節感あふれる料理とともに、津市の榊原温泉から源泉を運び、くみ入れている「長寿の湯」も来館者らに喜ばれている。
光世さんとは、「床の間に座っているだけでいいから」と、おかみ業の大変さを隠して結婚した。若おかみとしての心得や仕事を、大おかみの母に教わりながら修業し、第一線で接客をこなすようになってくれた。「宴席の心遣いでつながりが深まった」「酒の好みを覚えていてくれてうれしかった」と、おかみのもてなしを楽しみに来てくれるお客も多い。
「古希という人生の節目を迎え、これまで支えていただいた多くの方々に、社会貢献という形で恩返しをしていきたい。40年間、二人三脚でやってきてくれた妻に感謝でいっぱいです」と語った。
略歴:昭和20年生まれ。同43年慶應義塾大商学部卒業。平成13年県料理業生活衛生同業組合理事長就任。同16年四日市観光協会会長就任。同20年三重YMCA福祉会理事就任。同25年市文化まちづくり財団理事就任。