鈴鹿市算所3丁目の大野工務店は、注文住宅やマンション、商業店舗などの建築をはじめ、リフォーム工事など県内を中心に展開する総合建設業。昭和41年、祖父の満太郎さんが創業し、3代目。平成26年の県建築賞一般部門で田村賞を受賞するなど受賞多数。
「図面だった物が形になって残っていくのは楽しい。建築の醍醐味(だいごみ)。達成感もあるし、財産をつくっているという喜びがある」と語る。
3人兄弟の長男。仕事で忙しい両親のもと、幼少期の数年間は母方の伯母の家で育った。大工の伯父の加工場が遊び場だった。「木を使っていろいろな物が造れる」と建築の仕事に興味を持ち、「小学生の頃から、将来は会社を継ぎたいと思っていた」と振り返る。
県立津工業高校建築科を卒業後、専門学校で建築工学を学び、あらためて建築の道に進む決意をした。
卒業後は、名古屋市の中堅ゼネコンで12年間、現場での修業を積んだ。入社当初はマンションやパチンコ店など大型建築物の建設ラッシュで24時間フル稼働。「現場で雑魚寝も当たり前」の中、現場監督としての仕事を少しずつ覚えていった。「最初の1、2年目が辞めたいくらいつらかった。乗り越えられたのは待遇が良かったから」と笑う。
4年目、任された建物が完成した時、自信が芽生えた。「小さい現場から大きい現場まで、数をこなしてきた経験が、今の自分の土台になっている」と話す。現場管理の中で人の使い方などを身に付け、「工期の中で現場を経営していくと捉えると、社長と同じ」と指摘する。
34歳で大野工務店に入社。事業の見直しなどに取り組んでいたところ、父親の容二さん(65)が病に倒れ、2年前に社長に就いた。石橋をたたいて渡る慎重派。「初めは右も左も分からず、半分ノイローゼ状態だった。決算書の見方さえ分からなかった」と思い返す。
「自分で選んだ道。社員を守っていかねば」との一心。「やっと今、会社のことを頭で計画できるようになってきたところ」と述べる一方、「失敗する勇気を持って、恐れずにやることが一番。人間、やる気になったらできる」と力を込める。
最近の趣味は料理。「スーパーでカートを押しながら、野菜や食料品を選ぶのが楽しい」という。
「情報の共有化を大切にしながら、足元が見える社長になりたい」と話し、「最期に『大野の社長はすごかった』と言われるような何かを残したい」と語る。
略歴:昭和49年生まれ。鈴鹿市出身。平成20年大野工務店入社、同24年社長就任。県建設業協会鈴鹿支部建築委員。