菰野町菰野の池畑信也事務所は、昭和62年に同町小島で創業。平成13年、同所に移転した。相続・売買・贈与などの権利登記から、土地・建物測量の表示登記、官庁に提出する書類の代行まで、関連する全ての作業と手続きを一手に引き受けている。
共働きの両親の下、3人きょうだいの末っ子で長男として生まれた。幼いころは、夏は川で魚を捕まえ、冬は野球など、毎日、暗くなるまで外で遊んでいた。親に「勉強しろ」と言われたことはなく、通信簿にはいつも「明朗活発」の文字があった。「当時の朝明川はアユが遡上(そじょう)するきれいな川だった」と懐かしむ。
軟式野球に打ち込んだ中学時代、通学に片道1時間以上かかった四日市南高校を経て、伯父が住む東京の成城大学に進学。憧れていた都会での下宿生活が始まった。当時、全盛だったフォークソングにはまり、「バイトで返すから」と、両親に頼んでギターを買ってもらい仲間と共に練習に明け暮れた。
卒業後は、仲間の中からプロのギタリストやCMソングライターとして活躍する友人も出たが、「バイトでギター代を返すという約束は今も果たせていません」と、照れくさそうに話す。伯父の紹介で就職先も数社あったが、長男として、転勤が多いサラリーマンは無理だと帰郷した。
「よく戻ってきてくれた」と喜んでくれる両親の下で、家庭教師を始めた。26歳の時、高校の同級生だった多恵さんとの結婚を機に、将来のことを真剣に考えるようになった。32歳までの6年間、人生初といえるほどの猛勉強をして行政書士、司法書士、土地家屋調査士の3つの資格を取得し、33歳で事務所を構えた。 当初は、気心の知れた親戚の人々が仕事をくれた。「田んぼをつぶして息子の家を建てたい」など、3つの資格全てが必要な案件をこなすうち、「何でも相談に乗ってくれる」「経費の節約になる」と、口コミで地元の人も依頼に訪れるようになった。
「まかせて良かった」と喜んでくれる声を励みに、もうからなくても、受けた以上は最後までやる―の精神で、力いっぱい働いた。3年ほどで両親からの援助を受けずに済むようになり、平成13年には、事務所を新築移転。経理をまかせる多恵さんら社員4人と共に、信頼と実績を積み上げてきた。
「これまで順調にやってこられたのは、会う人みんなに良くしてもらったことと、両親の深い理解があったから」と話す。「『社員は家族』という一体感が、事務所を明るくしてくれる。社員の家族も含めて大きな池畑ファミリーです」と笑顔で語った。
略歴:昭和29年生まれ。同52年成城大学経済学部法律コース卒業。同62年菰野町商工会入会。平成12年同商工会理事に就任。