独創性生かして勝負 成功するまで諦めない ミナミ産業代表取締役社長 南川勤さん

「諦めないことが大切。成功するまでやる」と話す南川代表取締役社長=四日市市東新町のミナミ産業で

 四日市市東新町に本社を置くミナミ産業は、豆腐や油揚げ製造機器の製作や資材販売を中心に事業を展開する製造業。昭和26年父と祖父が創業した。これまでに、第4回日本環境経営大賞環境プロジェクト賞、第39回食品産業技術功労賞など、数々の受賞実績をもつ。

 「子どものころからものづくりが好きだった」と話す。遊び道具を改良して使いやすくしたり、「考えて作ることに興味があった」と思い返す。

 スポーツも好きで、中学校ではバレーボール部、高校では柔道部、大学ではラケットボールサークルにそれぞれ所属し、活動的な学生生活を過ごした。「目立ちたがり屋で、人と違うことがしたいタイプだった」と懐かしそうに笑う。

 卒業後は「跡を継ぐ前に、よその会社で勉強したい」という思いもあったが、人手不足からそのまま入社。

 在学中、帰省するたびに会社の状況が悪化していくのをうすうす感じていたが、入社後は予想より、厳しい現実が待ち構えていた。分からないまま修理対応やクレーム対応など、見よう見まねで夜中まで働き、まともに睡眠が取れない日々が続いた。

 「何とかしなければ」と、新体制を整えるために28歳で社長に就任。業務の見直しなどで赤字だった経営も黒字になり、社内のまとまりも出てきたころに、バブル崩壊の影響で仕事が激減。相次ぐトラブルも重なり、融資を求めた銀行に、廃業を薦められるという悔しい思いも経験した。

 「今になって思えば、簡単に貸りられなかったことで、会社の現状を見直すいい勉強になった」

 どん底を救ったのは、父親が机に置いてくれた1枚の新聞記事の切り抜きだった。夢も希望も見失っていた中、「小さな町工場が独創性を生かした製品で世界トップシェアを占める」という内容の記事に感銘を受けた。「どうせ駄目なら、独創性を生かして人のやらないことでトップを目指せる事業をしよう」。方向性が決まった。

 あらためて自社の強みを真剣に自問自答し、「今までの経験を生かし、大豆加工技術しかない」と答えが出た。

 もともと人と違ったことをするのも、ものづくりも得意だった。おからの出ない豆腐や出来たての豆腐を作る機械など、次々と開発。

 萬古焼の鍋を使って卓上で豆腐を作る「萬来なべ」は主力商品の一つ。これまでに国内をはじめ、海外24カ国で10万セット以上を販売してきた。

 海外進出の経験を生かし、昨年、コンサルティング業務などを中心とした関連会社も設立した。

 「悲観的に考えたら進まない。何が正解かは分からないが、柔軟に考え方を変えて、ピンチをチャンスに変えることで道が開ける」と半生を振り返り、「諦めないことが大切。成功するまでやる」と力強く語る。

 「現状維持ではいけない。常にチャレンジ」とやる気に満ちあふれた表情で話した。

略歴:昭和38年生まれ。四日市市出身。同62年ミナミ産業入社、平成4年同社代表取締役社長就任、同24年四日市市産業功労者受賞。オール三重国際ビジネス研究会会長、日本豆腐機器工業会理事、大豆まるごと豆腐振興協会会長など。