消防設備の事業拡大 「今後は海外も視野」 消防設備・設計・施工・保守「中京防災システム」社長 中林朋久さん

「今後は、海外にも視野を広げ事業を発展させていきたい」と話す中林さん=四日市市東阿倉川で

 四日市市東阿倉川の「中京防災システム」は昭和51年、「中京メンテナンス」として父文雄さん(65)が同市川原町で創業。同60年に有限会社とし、平成元年には、株式会社に移行した。創業40周年を迎えた今年1月、会長に退いた父を継いで社長に就任した。

 創業以来の社是「誠実・努力・感謝」の下、現在は、東海3県を中心に、官公庁や工場、病院、店舗、マンションなどの消防設備の設計、施工、保守点検事業を拡大している。

 四日市市山分町で、2人兄弟の長男として生まれた。小学生の時、「誰もやらないことをしてやろう」と、朝明川の橋の上から宙返りをして川に飛び込んでけがをするなど、幼いころから人を笑わせるのが大好きで、目立ちたがり屋だった。

 八郷小から、中高一貫教育の暁学園に進んだ。中高の6年間はサッカー部に在籍していたが、サッカーより、当時全盛期だったハードロックに魅了され、仲間とバンドをつくって毎日のようにギターの練習をした。「学園祭のステージでライブ演奏をやり、会場を盛り上げたことが最高にうれしかった」と振り返る。

 四日市大に進学し、経営学科で学ぶ傍ら、20人ほどの仲間と共にイベントサークルを創設した。スキー合宿や日帰り旅行、ディスコパーティーなどの企画と運営を手掛け、多くの仲間たちと親交を深めた。

 卒業後は、父親の勧めで東京の防災機器総合メーカーに就職した。高校生のころから、家業の消防設備設置や点検作業などを手伝い、大学時代にはアルバイトをしながら消防設備士の資格を取得していた。その基礎知識と技術が評価され、新人研修を経ず、即戦力として営業部に配属された。しかし、入社から10カ月後、不況のため人員削減の対象となり退社を余儀なくされ帰郷した。

 「戻ってくれて良かった」と喜ぶ父と、経理を担当する母悦子さんの笑顔と心遣いに励まされ、中京防災システムに入社した。営業から点検、施工まで全てこなせるよう、父に教わりながら現場を回る日々が続いた。現在は、消防署と連携した高齢者福祉施設へのスプリンクラーの設置、設計士や建築業者との協働で、病院や学校、結婚式場などの特殊建築物の換気や給排水設備を手掛けている。

 10年ほど前からは、仕事の大半を任せてもらえるようになった。入社から20年目の今年1月、父から2代目を引き継いだ。部長職の弟賢太郎さん(40)と力を合わせ、「災害を未然に防ぎ、最小限に抑えられる仕事に誇りを持って、社員21人とその家族の幸せを守る」という決意を胸に刻んだ。

 「語学に強い弟と手を携え、今後は海外にも視野を広げ事業を発展させていきたい」と、大きなビジョンを語った。

略歴:昭和48年生まれ。平成8年四日市大学経営学科卒業。同年防災機器総合メーカー・ヤマトプロテック入社。同9年中京防災システム入社。同23年NPO法人四日市市建築防災センター理事就任。同27年中部経済研究会副会長就任。同28年中京防災システム社長就任。