鈴鹿市大久保町の矢田しいたけ園は、原木生シイタケのハウス栽培をしている。市内でシイタケを原木栽培しているのは一軒のみ。北勢地域を中心に出荷している。
「堅さ、歯応えだけでなく、味も全然違う」と原木栽培の魅力について熱く語る。「土地柄的に朝夕の温度差があり、シイタケ栽培に適している」。
もともと実家は農業を営んでおり、シイタケ栽培は自身が中学一年生の頃、父親の邦夫さん(96)が始めた。
一方、自身は「将来観葉植物を育てたい」と、県立四日市農芸高校園芸科に入学。山やアウトドアが好きで、高校時代は山岳部に所属した。
日本アルプスなど、いくつもの山に登った。「仲間同士で同じ釜の飯を食って、打ち解け合う。登頂後の景色もいいが、共に困難を乗り越えることで連帯感が生まれる」と、登山を通じて仲間たちとの友情を深めた。
卒業後は愛知県の観葉植物栽培会社に入り、一年間住み込みで修業。「一度都会に出たかった」と笑う。しかし、実家での観葉植物の栽培は、暖房費がかかるなどリスクも多く、父親の跡を継ぐことを決めた。
父親は口数の多い方ではなく、仕事は見て覚えた。 一年もたつと、仕事をほぼ任されるようになり、県外の同年代の同業者グループと情報交換をしながら、作業工程の改良などに着手。「同じ菌を打っても、わずかな温度差や雨の量で全然出来が違う。気候を熟知し、調整していく作業は、経験を重ねていくしかない」と簡単にはいかない難しさを実感しながら、「自分の思うようなシイタケができたときは感動する」と、徐々にやりがいを見い出すようになった。
中国産の増加で売り上げが落ちた時期には、妻の淑子さん(61)と一緒に県外のスーパーを回り、店頭でバター炒めなどを作ってPRした。「シイタケ嫌いの子が、おいしいと言って食べてくれたときはうれしかった」と目を細める。
ほかにも、中国産や菌床シイタケとの差別化を図り、原木栽培をアピールしようと、シイタケとリスを描いたマークを商標登録するなど、積極的に取り組んできた。
地区の代表で約十年間、農業委員を務めたことがきっかけで、これまで交流のなかった他分野の農家との接点も増えた。「新しい地域活性化を農業の視点から考えよう」と平成19年、「椿の農業と地域を考える会」を立ち上げ、会長として尽力してきた。
椿大神社駐車場で毎年開催する「椿縁結び市」は今年で四回目を迎えるほか、お茶摘みやブルーベリーツアーなど、年々内容も充実し、固定客も増えてきた。
椿地区の魅力について尋ねると、「豊かな自然」と即答。「若い頃は何もないと思ったが、年を重ねるうちに、それが良さだということに気が付いた」と笑顔を見せ、「もっと多くの人に椿の良さを知ってもらえるよう、活動を続けていくことが大切」と話した。
略歴:昭和24年生まれ。鈴鹿市出身。同44年矢田しいたけ園でしいたけ栽培に従事、同59年代表就任。椿の農業と地域を考える会会長。