四日市市水沢町の自動車板金塗装「オートボディオクダ」は、昭和56年、「奥田自動車」として塗装職人の父行雄さん(64)が、同市曙町で創業した。平成3年に社名変更し、同18年、社屋移転と同時に会長に退いた父を継いで、社長に就任した。
当たり前のことを、人にはまねできないほど一生懸命にやる意の「凡事徹底(ぼんじてってい)」を社の精神として掲げ、従業員6人と心を一つにして仕事に取り組んでいる。従来からの板金・塗装と車検整備に加え、新車・中古車の販売、ボディーコーティング、損保代理店業、レンタカー業への参入と、事業を拡大している。
四日市市笹川で2人兄弟の次男として生まれた。幼少時は体が弱く、運動は苦手だった。小2の時、兄と一緒にスポーツ少年団で軟式野球を始めた。練習で鍛えられ、次第に体力に自信が持てるようになった。キャプテンに選ばれた6年生のころから、プロ野球選手を夢見るようになった。
中学時代も野球に打ち込み、進学した四日市中央工業高校でも迷わず野球部に入った。25人の新入部員が、厳しい練習で卒業時にはわずか3人になっていた。「夢中で白球を追った11年間。栄光は得られなかったが、途中で投げ出さなかったことが何よりの収穫だった」と、青春時代を振り返る。
卒業後は「塗装職人の父を手助けするために、3年で板金技術を身に付けよう」と、自身で期限を定めて市内の大手自動車修理工場に就職した。毎朝、誰より早く出社して職場を清掃し、先輩職人らの技術を見て覚えた。帰宅後は、買い込んだ専門書で車の構造や機能を頭にたたき込んだ。
2年目でようやく車に触らせてもらえるようになり、翌年には、口数の少ない職人が「3年間でよくそこまで腕を上げたな」と言ってくれるまでになった。21歳で「オートボディオクダ」に入社し、それまで塗装専門だった会社で板金部門を担当するようになった。
加盟した県車体整備組合青年部の仲間との交流で、視野が大きく広がった。「確かな仕事をしていれば、必要としてくれる人がいる」とアドバイスしてくれた先輩の言葉をきっかけに、常に誠実な仕事を心掛ける気持ちを強めた。
26歳で社長を任されてからは、大手ディーラーや損保会社を回る営業活動で、協力・指定工場として受注を増やしてきた。自動ブレーキ機能搭載車の増加によって事故車が減少傾向にあることから、損保代理店やレンタカー業務参入を決意し、今月、営業をスタートさせた。
従業員の力強い支えとともに、事務を手伝ってくれる母つぎえさん(63)、父と職人同士のあうんの呼吸で働けることがうれしい。「新しい分野で、自分の可能性をどれだけ広げられるか挑戦し続けたい」と目を輝かせた。
略歴:昭和54年生まれ。平成8年県立四日市中央工業高校卒業。同27年県車体整備組合青年部会長就任。