技術を次世代へ 「品質確保」と「安全第一」社訓に 「東海共同測量設計コンサルタント」社長 河内洋樹さん

「社員一同とその家族の幸せを追求し続けたい」と話す河内さん=菰野町菰野で

 菰野町菰野の「東海共同測量設計コンサルタント」は、昭和44年に祖父の故末雄さんが同町吉沢で創業。道路や橋などの公共土木測量設計を手掛け、同54年に父洋さんが継ぎ、父亡き後は母和江さん(63)が切り盛りしてきた。平成25年、会長に退いた母から経営を引き継いだ。

 完成すれば目に見えない基礎の仕事だからこそ、設計段階のミスは許されないことを胸に刻み、「品質の確保」と「安全第一」を社訓に、15人の社員と公共土木の測量や設計、建物補償など、県内5カ所に営業所を置き、北勢地域を中心に事業を拡大している。

 菰野町大羽根園で2人きょうだいの長男として生まれた。幼少時から好奇心旺盛で、遠くまで探検に出掛け、家族が心配する中、パトカーに乗せられて笑顔で戻ってきたこともあった。今でも、親戚が集まるとその話題が出るという。

 野球好きの父の影響で、小3からスポーツ少年団で野球を始め、ラグビーの強豪校菰野中に入学してからはラグビーに夢中になった。中2で全国大会に出場し、四日市西高卒業までの6年間はラグビーに明け暮れた。父の背中を見て育ち、測量や設計の仕事に興味を持つようになり、大阪産業大の土木学科に進学した。

 大阪での大学生活3年目の秋、父が事故に遭ったと母から連絡があり、その日のうちに父は亡くなった。突然のことに混乱していた母が、仕事を継承しようと決意するまで、従業員らが見守り、支えてくれた。大学を卒業後、実家に戻り「東海共同測量設計コンサルタント」に入社。社長である母の勧めで久居市(現津市)の同業会社に出向して修業を積んだ。

 3年間、測量と設計の基礎から、総務、営業までをみっちりと学んだ。「家業に戻った時の母のほっとしたような笑顔が心に残っている」と振り返る。「東海共同測量設計コンサルタント」の社員として、営業に力を注ぐとともに、日本測量協会や県測量設計業協会などの加入団体との交流を深めていった。

 平成25年、還暦を迎えた母が会長に退き、35歳で社長に就任した。祖父から父、母へとバトンタッチしてきた会社の経営を任され、「自分の代でつぶすわけにはいかない。技術を次世代につなげていかなければ」と決意を新たにした。

 妻晶子さん(37)と6歳の長男悠樹君、1歳10カ月になる長女美緒ちゃんの4人家族。子どもたちはママと隣家に住む祖母が大好き、パパは3番目のようだが、かわいくて仕方ない。「忙しくて寝顔しか見られない日が多いが、この子たちの元気な成長が仕事への活力です」と目を細める。

 「設計技術の飛躍的な進歩をいち早く取り入れ、業務の効率化と品質の向上に努め、父の代から支えてくれている従業員をはじめ、社員一同とその家族の幸せを追求し続けたい」と力強く語った。

略歴:昭和52年生まれ。平成12年大阪産業大学工学部土木学科卒業。同年東海共同測量設計コンサルタント入社。同年―同15年杉山コンサルタンツ出向。同22年北勢測量設計技術協議会副会長就任。同25年東海共同測量設計コンサルタント社長就任。同28年県測量設計業協会監事就任。