鈴鹿市国府町のオーヴァーホールディングスは、OVER―racingパーツの販売、二輪新車・中古車販売など3部門に分けて事業展開している。
小さい頃から、機械いじりと車が好きだった。中2の時には、1人でゴーカートを造ったこともある。「近所の人に古いスクーターを譲ってもらい、リヤカーと組み合わせて、2週間くらいかけて造った。スピードも60キロぐらいは出た」と話し、「今見たら笑えるものだけど、当時は注目を浴びて、いろんな人が見に来た」と、懐かしそうに目を細める。「あの頃は、米国の大学に行き、車のデザイナーになるのが夢だった」
16歳の時、二輪の免許を取得。乗り始めると、たちまちバイクとの一体感に魅了され、いつの間にかバイク好きになった。「車体を寝かすタイミングが難しい。こけないように乗るのが楽しかった」と笑う。
「レーサーになりたい」との思いから、高校卒業後は本田技研に入社。「オートバイ部があり、そこに入りたかった」
熊本を離れ、初めての鈴鹿での1人暮らしだったが、不安よりも「ここまで来たら、レースができるのではないか」との期待に満ちあふれていた。
入社後は、交代制のライン業務をこなしながら、部活動に専念。先輩の手伝いなど1年間の下積みを経て、2年目以降からは念願のレースに出場するようになった。「初めての鈴鹿サーキットは感動した」
何度かレースに出場するうちに、走ることより、造ることに魅力を感じている自分に気が付いた。
21歳の時、二輪・四輪部品メーカー「モリワキエンジニアリング」に転職。「部活動のように、1日好きなことをやって給料までもらえる。こんな仕事があったのか」と衝撃を受けた記憶は、今も鮮明に残る。
メカニックと共に、海外でのレースに何度も同行するなど、世界的な規模で視野も広がった。経験を重ねるうちに「自分で思うようなバイクを造りたい」との思いから独立を決意。
29歳で、現社の前身となる「オーヴァーレーシングプロジェクツ」を設立するとともに、二輪のレースチームも立ち上げた。ちょうど、バイクブームの時期と重なったこともあり、順調に業績も伸ばしてきた。
やりがいは大きく、10年ほど前からは、本格的に経営の勉強も始めた。
生き方はレースの中から学んできた。「結果を出すという部分は、経営もレースも同じ」と話す。「自分のできることを見極め、そこに全力投球する」
好きな言葉は「挑戦」「日々挑戦する気持ちを忘れたくない」と、ひたすら前へと突き進んでいく。
「好きなものはバイク以外にない」ときっぱり言い切る。「世界中にいる自分と同じくらいバイク好きな人たちに、語り継がれるようなバイクを造るのが夢」と少年のように目を輝かせ、楽しそうに語った。
略歴:昭和29年生まれ。熊本県出身。57年オーヴァーレーシングプロジェクツ設立社長就任、平成24年オーヴァーホールディングス代表取締役会長就任。現日創研三重北経営研究会会長など。