墨の魅力引き出したい 高い技術、父の背中から学ぶ 進誠堂社長 伊藤忠さん

「鈴鹿墨の魅力を引き出していきたい」と話す伊藤社長=鈴鹿市寺家5丁目の進誠堂で

 鈴鹿市寺家5丁目の進誠堂は、墨として唯一国の伝統的工芸品に指定された「鈴鹿墨」の製造、販売をしている。昭和22年創業。

 祖父の代から鈴鹿墨を作り続け、3代目となる。「墨作りを見て育ったので、子どもの時は漠然と大人は墨を作るものだと思っていた。遊びに行った友人の家で、父親が(墨で)黒くなかったのが衝撃的だった」と笑う。

 墨の需要が減少し、父親も跡を継ぐことを望まず、高校卒業後は一般企業に就職。20歳の時、祖母の介護がきっかけで、週末だけ父親の仕事を手伝うようになった。

 主に汚れたバケツを交換するなど雑用だったが、ある日、父親と同じ条件で墨を作った。仕上がりの歴然とした違いに父親の技術の高さをあらためて実感。物作りが好きだったこともあり、いつの間にか墨作りに没頭するようになった。

 本格的に墨作りの世界に入ったのは21歳の時。最初は反対していた父親だったが、12年間父の言うことだけを聞き、仕事をまね、技術を自分のものにしていった。口数の少ない職人かたぎの父親は、多くを語らななかったが、背中から多くを学んだ。

 33歳の夏、父親が「今度の冬の作業から俺が手伝いをする。おまえは作業の中心になれ」と告げ、立場が逆転した。

 出来上がった墨は3年寝かせてから市場に出す。36歳の時、初めて自分で配合した墨が売れた時、一緒になって喜んでくれた父親の笑顔は今でも忘れられない。

 社長になってからは「黒だけじゃない独特の墨をアピールしたい」と、有機顔料や天然の鉱石を使った色墨の制作に取り組んできた。「当時は『書を冒涜(ぼうとく)している』と批判が多かった」と振り返るが、それが逆に反響を呼び、今では人気商品の1つになっている。
 
 墨だけでなく、墨のクッキーやアロマキャンドルなど、企業とのコラボ商品も数多く生み出してきた。「伝統工芸品として守っていくだけでなく、いろいろな会社と共同して鈴鹿墨の魅力を引き出していきたい」と意欲的。

 7年前、父親が亡くなったことをきっかけに、伝統工芸士としての名前を「伊藤亀堂」に変えた。父親の亀吉から「亀」、進誠堂の「堂」を1文字ずつもらった。「父を追い掛けていこうという決意やけじめの意味を込めた」と話す。

 長男の晴信さん(27)も5年前に弟子入りした。「最近見た夢が印象的で。父を挟んで両端に自分と息子が座り、並んで墨を作るんだけど、父が本当にうれしそうな顔だったんだ」と語る。

 今月10日、卓越した技能者として表彰を受けた。「まだまだ墨作りの技術はおやじにかなわない」と照れくさそうに笑った。

略歴:昭和39年生まれ。鈴鹿市出身。同59年父に師事、平成10年社長就任。同12年通商産業大臣指定伝統工芸士認定、同20年知事賞受賞、同24年鈴鹿市政功労者表彰、同25年経済産業大臣賞受賞、同26年卓越した技能者表彰。鈴鹿製墨協同組合代表理事。