地域密着で業務拡大 まず笑顔で接すること LPガス・住宅設備機器「石井燃商」社長 石井智光さん

「地域に必要とされる会社にしていきたい」と話す石井さん=四日市市稲場町の石井燃商で

 四日市市稲葉町の「石井燃商」は、大正7年、家庭用固体燃料の練炭や豆炭を商う「石井練炭」として、曽祖父石井惣十郎氏が創業した。時代の推移と共に、固形炭から次世代のエネルギーLPガスへと移行し、昭和37年に「石井燃商」と社名変更した。

 現在は本社と県内5営業所で、顧客へのLPガス供給を中心に、システムキッチンやシステムバスなどの住宅リフォーム業、太陽光発電設備販売、ミネラルウオーターの宅配も手掛けるなど、地域に密着した総合エネルギー企業として業務を拡大している。入社から15年目の今年8月、父直継さん(73)を継いで社長に就任した。

 四日市市で、2人きょうだいの長男として生まれた。小学4年の春、当時、赤ヘル旋風を巻き起こしていた広島東洋カープの山本浩二選手や衣笠祥雄選手に憧れて、地元の少年野球チームに入った。野球に打ち込む毎日だったが、羽津北小、羽津中では生徒会長も務めた。

 進学した四日市南高校でも、迷わず野球部に入部した。2年生の夏、練習試合中に右手の甲を骨折して、3日後に控えていた県大会に出場できなかった。キャプテンになった3年生の夏は3回戦で涙をのんだが、試合に出られなかった2年の時ほど悔しくはなかった。「目標に向かって濃い時間を共有した仲間との思い出は、何にも替えがたい青春時代の宝物」と振り返る。

 指定校推薦で埼玉県の芝浦工業大学工学部に入学した。工業化学科で、土壌汚染物質除去について研究に没頭する日々を送った。教授から大学院進学を勧められて進路に迷っていた時、「自分の人生は自分で決めなさい」という両親の言葉で就職を決断。静岡県の大手ガス会社で5年間、ガス業界の基礎を学び、営業の難しさを体験して郷里に戻り、石井燃商に入社した。

 入社後は経理部で2年、営業部で10年間経験を積み、常務、専務取締役を経て、今夏、相談役に退いた父に代わって5代目社長を引き継いだ。76人の社員には、営業マン時代に培った「まず笑顔で接すること。それが顧客の方々とのコミュニケーションを深め、明るい職場づくりにつながる」と話す。

 休日は、妻豊美さん(39)と幼い子ども3人と遊びに出掛けたり、得意なカレーを作ったりと、家族の時間を大切にしている。長女に「おばあちゃんのカレーの方がおいしい」と言われて大ショックを受け、母にこつを教わりに行ったこともある。「居心地のいい家庭が仕事への活力になっている。妻に感謝です」と話す。

 来年から電力の自由化、再来年からは一部のガスの自由化が始まる。「エネルギー業者として、フットワークの軽さを武器に、地域に必要とされる会社にしていきたい」と意欲を見せた。
  

略歴:昭和47年生まれ。平成7年芝浦工業大学工学部卒業。同12年石井燃商入社。同22年四日市青年会議所理事長就任。同24年日本青年会議所東海地区三重ブロック協議会会長就任。同年県LPガス協会副会長就任。同27年石井燃商社長就任。