鈴鹿市神戸の「神戸ダイハツ」は、父博さん(88)が昭和38年、「神戸ダイハツ商会」の社名で創業した。同51年、道路拡張による社屋の移動に伴ってショールームを増設、車両修理に加えて新・中古車販売も手がけるようになった。
平成16年に父から経営を引き継いだ。「カーライフサポートで1人1人のしあわせづくり」を経営理念に掲げ、社員14人が一丸となって地域一番のカーディーラーを目指している。同31年には、本社横にマイカーリース専門店「新車市場」鈴鹿店を開設し、業績を伸ばしている。
朝礼には、倫理研究所発刊の「職場の教養」と米政治家フランクリンが提唱した「13の徳目」を取り入れ、スタッフはお客様との良い関係を保つために「挨拶」「笑顔」「感謝」を絶えず心がけている。また週1回、お客様からの「ありがとう」をいただいた体験発表や、周辺地域の清掃活動も欠かさない。
年1回の「お客様感謝デー」では、スタッフらの手作りゲームや飲食ブースを設け、来店者に喜ばれている。昨秋の「60周年記念イベント」は、スタンプラリーや野菜のつかみ取りなど、多彩な催し物でにぎわった。「孫たちが賞品に大喜び。3世代皆で楽しめた」、「何かあるとすぐに駆けつけてくれ、保険の面でも頼りになる我が家の車屋さん」などの声に、「最高の言葉、何よりのご褒美です」と話す。
鈴鹿市で2人きょうだいの長男として生まれた。両親はいつも忙しく、双子の妹と子ども部屋で遊ぶことが多かった。中1のころ、父に「お前は家業を継ぐレールに乗っている」と言われ、車が大嫌いになった。高2の時には「車整備の専門学校に行け」という言葉に反発して、東京の専修大学に進学した。就職も父の意に反して東京の「伊藤ハム」に入社したが、3年後に退社して鈴鹿に戻った。
父から「整備士として働け」と言われ、いやいやながら先輩らの作業を見ながら技術を覚え始めたが、いつ辞めようかと常に考えていた。そんな時、高校の同級生だった美千さんと再会、結婚を機に人生を見つめ直し、やり始めたことはやり遂げようと真剣に仕事に向き合い、5年間で整備士、検査員、保険などの資格を取得した。
45歳の時、友人に紹介された倫理法人会で聞いた言葉にがく然とした。「身近な両親、妻を大切にしない人間が、なぜ社員を大切にできる」―。思えば物心ついてからずっと反抗してきた。自分が変らなければ、周りは変らないということにようやく気づかされた。
「生んでくれてありがとう」と、生まれて初めて両親に手紙を書いた。仕事に追われ、家事も子育ても任せっきりだった妻には「迷惑をかけて申し訳ない」と伝え、「お弁当ありがとう」など、毎朝の感謝カードを実践するようになった。それを機に、両親との関係が修復でき、妻も笑顔になって、前に進むことができた。倫理法人会との出合いが人生の大きな転換点となり、仕事面でもお客様とスタッフの心に寄り添い、全てに感謝できるようになった。
「人材育成に力を注ぎ、もう1店舗をと考えている。地域になくてはならないナンバーワン・ディーラーを目指したい」と意欲を語った。
略歴:昭和39年生まれ。同61年専修大経済学部卒業。同年「伊藤ハム」入社。平成2年「神戸ダイハツ」入社。同16年「神戸ダイハツ」社長就任。同26年こくみん共済コープ県代理店会会長就任。令和4年県倫理法人会会長就任。