地域の一番星に 菰野町の魅力、全国に発信 「山口陶器」社長 山口典宏さん

「菰野町の魅力を全国に発信していきたい」と話す山口さん=菰野町川北で

 菰野町川北の「山口陶器」は、菰野町職員だった父峯生さん(72)が焼物に興味を持ち、昭和48年に母明子さん(69)と叔父2人と共に創業した。植木鉢を手始めに和・洋食器へと生産の幅を広げ、東海地区の問屋を通して全国に販路を拡大してきた。

 四日市市と菰野町の製陶業者は昭和60年代の270軒をピークに、安価な海外製品と後継者不足によって現在は63軒に減少。平成22年に父から経営を引き継いだ後は、「家業から企業へ」を目標に、問屋に納める下請け業からの脱却を図り、自社ブランド「かもしか道具店」や同業仲間との「4th―market」ブランドの製造・販売に力を注いでいる。

 菰野町で2人兄弟の次男として生まれ、幼い頃は内気で甘えん坊だった。小1の時、マラソン大会で仲良しの子が3位に入り、19位だった自分が情けなく、毎日走り込みを続けた。翌年には3位、3年生で見事1位になった。「一生懸命にやればできるという自信につながった」と振り返る。

 菰野中と四日市工業高校での6年間はラグビーに打ち込んだ。キャプテンとなった中3の時には、東海北陸代表として、あこがれの花園ラグビー場で戦い、高3では県代表選手に選抜されて国体予選に進んだ。卒業後は、ラグビー部のある会社を探して日本合成ゴム(現JSR)に就職した。

 入社後、会社員と社会人ラグビーを10年間経験し、いつしか自身の中で大きくなった製陶への熱い思いに気付き、家業を継ぐ決意をして退社した。山口陶器に入社して、成形から素焼き、施釉、焼成までを、父や叔父、現場の熟練職人らに教わりながら腕を磨いてきた。

 これからの製陶業は「待ち」の体制から、「攻め」の時代に入ると考え、積極的に営業にも力を注いだ。萬古陶磁器工業協同組合に所属する窯元の若手後継者らと、業界の将来について話し合いを重ね、「現代の食卓にマッチした調理道具と食器」をコンセプトに、仲間4人で平成17年にオリジナル・テーブルウェアブランド「4th―market」を創設し、全国展開を図っている。

 自社ブランドとして開発した「ごはんの鍋」は、蒸気の抜け穴がないのに吹きこぼれることなく、ふっくらとおいしいご飯が炊けると喜ばれ、使った人から親しい人への贈答用としても人気が広がっている。新商品開発に力を注ぐ傍ら、会社員時代につくったラグビーのクラブチームの指導にも携わっている。

 妻静香さん(35)は、京都の伝統工芸専門学校でろくろや絵付けを修めており、会社では技術者として夫を支えるとともに、家庭を守ってくれている。長女ななこさん(9つ)は、愛犬茶太郎との日課の散歩にも、仲間の集まりにも一緒についてくるほどパパが大好き。「居心地の良い家庭をつくってくれる妻に感謝です」と笑顔を見せる。

 来年度に控えた、萬古焼きの祖沼波弄山の生誕300年事業、湯の山開湯1300年、新名神高速道路の開通に向け、「地域の一番星になって焼物業界のレベルアップを目指し、食・泊・工芸を楽しめる菰野町の魅力を全国に発信していきたい」と意欲を語った。

略歴:昭和50年生まれ。平成5年県立四日市工業高校工業化学科卒業。同年日本合成ゴム(現JSR)入社。同15年山口陶器入社。同年山口陶器社長就任。