和菓子の底辺広げたい ネット販売の妻と2人3脚 和菓子原材料製造販売「内藤製餡」社長 内藤孝之さん

「2人3脚で、昔ながらの職人の味を多くの方に届け、和菓子の底辺を広げていきたい」と話す内藤さん夫妻=四日市市西町の内藤製餡で

 四日市市西町の内藤製餡(あん)は、製あん業の発祥地とされる静岡県承元寺村出身の祖父惣一さんが、明治末期に創業した。昭和20年の四日市空襲で工場は焼失したが、3年後に再建して商いを再開した。昭和50年、亡くなった父二郎さんを継いで、22歳で3代目社長に就任した。

 冷蔵庫も車もなかった創業時は、夜中からあずきや白いんげんを炊き始め、臼でつぶしてふるいに掛け、水にさらして絞った生あんを袋に詰め、自転車や鉄道による手荷物輸送で和菓子屋に届けていた。その後、甘いものが重宝される時代になり、製あん機や冷蔵庫、車の導入によって販路を大きく広げた。

 四日市市で4人きょうだいの長男として生まれた。母倖さん(85)からいつも「主な子、大事な子」と、かわいがられた。幼心に、姉や弟2人とは明らかに違う扱いに「後継ぎ」を自覚するようになっていた。期待に応えようと、小・中学時代は、常に優秀な成績を修めて両親を喜ばせた。

 四日市高校から、祖父の出身地にある静岡大に進学した。先輩に誘われて野球部に入り、猛練習を重ねて1年生でレギュラーに選ばれた。見学を兼ねて、プロ野球大洋ホエールズのキャンプで球拾いのアルバイトをしていた時、元巨人軍監督の藤田元司投手コーチに「『大洋にこないか』と誘われたことが、人生最良の思い出です」と懐かしむ。

 4年生の夏、父が亡くなった。翌春の卒業を待って、3代目を引き継いだ。オイルショックの影響で、引き出物などの需要が減少する中、経営を任されて戸惑う事も多かったが、「良い原料を使い、食べる人の笑顔を思い浮かべて作る」という、祖父と父の精神を守る決意を固めた。北海道の十勝あずきや丹波の大納言などのえりすぐりの原料で、熟練職人らと共に手間を惜しまず、心を込めてあんを作り続けている。

 大学の野球部でマネジャーを務め、浜松で教職に就いていた康子さんと27歳の時に結婚した。康子さんは、3男2女5人の子育てと家事の傍ら、夫の仕事を手伝ってきた。子育てが一段落したころ、ホームページ作成会社の営業マンの訪問をきっかけに、「ネット販売で、販路を拡大できるのでは」と思い立った。

 7年前、康子さんはネットショップ「あんこの内藤」を開店。「家庭で簡単に和菓子作り」をコンセプトに、「いちご大福の手作りセット」を販売した。ユニークなアイデアが評判になり、テレビ放映もされたことで注目を集めた。以後、きみしぐれやおはぎ、栗(くり)蒸しようかんなど、季節ごとのレシピ付き手作りセットを次々と開発し、全国各地からの注文で売り上げを伸ばしている。

 「あんこ嫌いだった子が喜んで食べるようになった」「本物の味、他では買えなくなった」など、喜びの声が多く寄せられ、反響の大きさに驚いている。

 親の背中を見て育った息子3人は入社して、家業を手伝ってくれている。「ネット販売に力を注いでくれる妻と2人3脚で、昔ながらの職人の味を多くの方に届け、和菓子の底辺を広げていきたい」と目を輝かせた。

略歴:昭和28年生まれ。同51年国立静岡大学人文学部法経学科卒業。同53年県製あん工業組合専務理事就任。平成14年日本製餡協同組合連合会理事就任。