四日市市南起町の富士印刷は、昭和41年、父春三さん(86)が同市昌栄町で創業した。従来の活字を使った活版印刷ではなく、光学・化学的手法の写植文字機を採用。環境に配慮した日本初の最新設備の印刷工場として誕生し、来年50周年を迎える。
平成10年、39歳で2代目社長に就任した。技術の進歩とともに最先端機器の導入で、事務用印刷物から食品や雑貨を詰める紙箱のパッケージ加工、スクラッチカードなどの特殊印刷まで、常に時代のニーズに先駆けてきた。現在は、県内だけでなく、東京、愛知、京都にも販路を拡大している。
四日市市で3人きょうだいの末っ子で、長男として生まれた。小学1年生の時に父が会社を始め、いつも忙しそうに働く両親の背中を見ながら育った。都会の大学に憧れ、四日市高校を経て慶應義塾大学で経済学を修めた。
同大卒業後、父親から「5年間、よその飯を食ってこい」と言われ、東京の印刷会社に入社した。印刷技術の基礎から教わり、3年余りで習得した。約束の5年に間があることから、父の勧めでアメリカに留学することになった。
ニューヨーク州のロチェスター工科大学印刷学科に通うため、まず語学学校で学ぶことから始めた。当初は言葉の壁で悩んだが、3カ月ほどで友人もできて日本に戻りたくないほど楽しい留学生活を過ごした。
帰国後、常務取締役として富士印刷に入社。営業担当者と共に取引先回りから始め、多くの顧客と話し合う機会が増えた。印刷物製造だけでなく、顧客の売り上げを伸ばすために、商品の開発やよりインパクトのあるチラシなどを提案することで、デザイナーや広告代理店の機能も果たし、事業領域を広げることができるのではと考えるようになった。
平成10年、「何かあったら聞きに来い」のひと言で、会長職に退いた父から経営を任された。大きな機械を購入する時は相談に乗ってくれるが、それ以外は一切口出しをせず息子を見守ってくれる懐の深さに、あらためて父の偉大さを感じた。
85人の従業員には、「人生の多くの時間を費やす会社で、それぞれの能力を発揮して輝いてほしい」と話す。それが、会社の利益につながり、従業員に還元されるという職場環境づくりに務めている。「弟や子どもも働かせて」と頼まれることもあり、兄弟、親子で務める従業員も多く、定着率も高いのがうれしい。
父から「跡を継いでくれ」と言われたことはなかったが、「今になって思うと暗黙の了解があったのかな。長男として自然の流れだった」と振り返る。
「来るべきペーパーレス時代を見据え、印刷物に感性を付加することで価値を高めていく感性価値創造企業を目指したい」と意欲を見せた。
略歴:昭和34年生まれ。同58年慶應義塾大学経済学部卒業。平成24年県印刷工業組合理事長就任。同26年中部フォーム印刷工業会副会長就任。