四日市市川島町のおばたレディースクリニックの診療科目は産科と婦人科で、病床数は18床ある。
音楽好きな母親の影響で、子どものころからクラシックをよく聞いていた。「レコードを聴く時は、なぜか必ず正座をしていた」と懐かしそうに振り返る。好きな作曲家はブラームス。
しっかりした性格で、小学生の時には生徒会長も務めた。「負けず嫌いなところは昔から変わらない」と笑う。
高校生の時には「将来は地元で働きたい」という漠然とした思いがあった。次第に医者の仕事に興味を持ち、医学部への進学を決めた。
医学を6年間学ぶうちに、「外科医になって手術がしたい」との思いが出てきたが、四日市市に分娩(ぶんべん)を扱う産婦人科が少なかったので、「いつか地元で開業したい」という夢に向かって産婦人科医への道を選択した。
卒業後、研修医として最初に配属されたのは三重大学病院の産婦人科。「覚えることがたくさんあって、6キロくらい痩せた」と振り返る。「休みとかも関係ないくらい忙しくて大変だった」
34歳で開業を果たした。「『若過ぎる』という評価もあったが、今思えば若いからできた。年をとれば守りに入ってしまうから、逆に今ならためらうかも」と語る。
開業後は、「地域で1番になる」思いで、ひたむきに頑張ってきた。院内の環境を整えるだけでなく、学会に積極的に出席し、新しい技術を取り入れてきた。
これまでに約6500人の出産に立ち会ってきた。多い日は7、8人を取り上げる、ほとんど眠れない日もあった。毎日が感動の連続かと思いきや、「出産で感動するのは母親の役割。自分はプロとして客観的に、いかに安全なお産をサポートできるかを考えなければいけない」と医師の顔をのぞかせ、「出産にはリスクもある。全てがよい結果につながるわけではない。だから数の勝負ではなく、安全性の勝負。リスクをいかに減らすかが大切」と力説する。
取材中にも1件の出産があり、元気な男の子を取り上げてきた。「無事に生まれてよかった」と安堵(あんど)の表情を見せる。
緊張感のある忙しい日々の中で、気分転換の一つは料理。自分の包丁も7本持ち、料理で使い分ける。「休みの日はほとんど料理係」と楽しげ。
出産はいつあるか分からないため、基本的に遠出はできないが、この道を選んで後悔はない。
開業して11年。ようやく少し余裕も出てきた。「やりがいのある仕事だと思っている。産婦人科医として、少子化対策に何かできることがあれば、取り組んでいきたい」と抱負を語った。
略歴:昭和44年生まれ。四日市市出身。平成5年三重大医学部卒。三重大学病院、県立志摩病院などの勤務医を経て、15年おばたレディースクリニック開業。県産婦人科医会理事。婦人科腫瘍専門医。