鈴鹿市白子3丁目の田中ウエルテクは、鉄骨加工業として、看板制作や建築工事など幅広く事業展開している。昭和28年に父親の清一さんが田中溶接として創業した。
外向的な性格で、子どものころはやんちゃな「がき大将」。そろばんも得意で、小学5年生の時には1級の腕前だった。市の珠算競技大会で1位になった。「今でも、11桁くらいまでなら、暗算の方が間違えない」と笑う。
野球が好きで、津工業高校野球部ではエースで活躍した。「その時は知らなかったが、ファンクラブもあったらしい」とこっそり教えてくれた。
子どものころから、父親を継ぐつもりで、中学生のころには溶接などの仕事を手伝っていた。高校卒業後は父親と共に働き始めた。
「人との信頼関係を大切にする」「堅実に商売を続ける」などは父親の背中を見て学んだ。「値段だけでは決められない。信用のおける仕事をする」と話し、責任感が強い。
仕事の傍ら、18歳から市消防団白子分団に所属し、地域の消火活動や防災活動に尽力してきた。野球で鍛え、体力に自信があったが、夜間の火災では一睡もせず、翌日そのまま仕事に向かうことも何度かあった。「地域を守りたい」強い思いがあったからこそ今まで続けてこれた。「白子地区の道と消火栓の位置は大体頭に入っている」
長年、分団長として貢献し、4月に藍綬褒章を受章した。先月16日の伝達式に出席し、天皇陛下に拝謁した。「間近でお目にかかり、緊張し過ぎて倒れるかと思った」と話しつつ、「礼などのタイミングが消防班は全員ぴったりで、さすがと感心した」と語る。
「上を見れば切りがない。下を見ても切りがない」。亡くなった母親がいつも口にしていた言葉が座右の銘。「自分のできることをこれからも、できる限り頑張っていきたい」
略歴:昭和25年生まれ。鈴鹿市出身。44年田中溶接(現田中ウエルテク)入社、平成13年代表取締役就任。26年藍綬褒章受章。鈴鹿市消防団白子分団長、鈴鹿法人会白子支部研修委員長。