四日市市新正のリコージャパン中部事業本部三重支社は、昭和55年に開設した三重リコーを前身に、平成26年、新生リコージャパンとして誕生した。県内を市場に、複合機やプリンターから、情報技術(IT)システムを稼働させる基盤となる施設や設備、保守まで全てを提供している。
4年前、新潟支社から三重支社に事業部長として赴任後、今年4月に支社長に就任した。四日市、津、伊賀、尾鷲、伊勢の県内5事業所、従業員合わせて122人を統括している。
新潟県南魚沼市で、2人兄弟の次男として生まれた。冬は2階の窓から出入りするほどの豪雪地帯で、毎朝、3歳年上の兄と雪かきを手伝ってから登校していた。スキーが得意で、小、中学生時代は、スキー大会のアルペン・ノルディック種目どちらも学年でトップクラスだった。
都会へのあこがれと、先に兄が大学生活をしていたこともあり東京の大学に進学した。兄と2人暮らしのアパートで、兼業農家の実家から届く米や野菜、菓子などが詰まったふるさと便が楽しみだった。「好物を少しでも多く送りたい」と、かさばる袋菓子には穴が開けられ、湿気てしまったポテトチップスも母の優しさが感じられておいしかった。
大学卒業後、郷里に戻って「新潟リコー(現リコージャパン新潟支社)」に就職した。転勤が多く、県内の事業所ほとんどを数年ずつ経験した。平成23年、三重支社に転勤になり、妻と娘を残して四日市での単身赴任生活が始まった。
「明るく、楽しい職場環境づくりの合言葉は『一笑懸命』、一つ一つの笑顔に命を懸けよう」―。支社長就任後は月1回、テレビ会議システムでつないだ県内5事業所の社員らに話す。夢を持ち、夢に向かうプロセスを楽しみながら、笑顔で取り組む意識が、顧客満足度を向上させると伝える。
女子社員でつくるプロジェクトチームの意見をまとめて、販売会議で発表してもらう。女性ならではの視点や細やかな心遣いを営業や保守サービスに取り入れ、併せて幹部候補の育成にもつなげている。
社会貢献の一環として、毎年、津市の白塚海岸や四日市市の海蔵川畔の清掃活動をしている。家族連れで清掃に参加する社員も多く、親睦を深める場にもなっている。今後は、小学生を対象にした夏休みの「モノづくり教室」開講やオフィス見学も計画している。
帰省するのは、正月と5月の連休、盆休みの年に3回。単身生活の寂しさは、月に1回届く妻からの宅配便が癒やしてくれる。野菜や魚の煮物、五目ご飯などの好物が小分けにして詰められている。妻の手作り料理が、仕事への活力源になっている。
「『人を愛し、国を愛し、勤めを愛す』という創業の精神の下、お客さまに安心、満足、感動していただく価値共創パートナーを目指したい」と語った。
略歴:昭和33年新潟県生まれ。同55年大学卒業。同年新潟リコー入社。平成27年リコージャパン三重支社支社長就任。