ー人生変えた教師の一言ー 医療法人大木会「大木歯科医院」理事長 笠井啓次さん

【「患者さんに心と体の健康を提供し続けたい」と話す笠井さん=四日市市諏訪栄町で】

平成14年、鈴鹿市南長太町に「大木歯科医院」を開院した。インプラント治療、歯列矯正、審美補綴(ほてつ)治療や予防に力を注ぎ、来院者の増加に伴って同24年に医院を増築、令和4年には四日市分院を開院した。

現在、1日の来院者数は本院と分院合わせて310人余。歯科医師と衛生師、技工士、管理栄養士、放射線技師、事務局スタッフ、保育士など75人が勤務し、患者さんに機能性と審美性を兼ね備えた良質な歯科医療を提供している。

食べ物をかめないことで筋力が落ち、活動範囲がせばまり、寝たきりや認知症のリスクが高まる。口腔(こうくう)内の健康をキープし、口中の衰弱を防ぐことで元気な高齢者を増やし、全身疾患の発症を抑えて健康寿命を延ばすことができると考えている。

20年ほど前、70代女性が「どれも合わなくて」と、あちこちで作った入れ歯5個を持って来院した。インプラントを使って入れ歯を安定させる方法で治療後、「家族と同じ物を食べられるようになった」と喜んでくれた。定期検診で、「90歳になってもしっかりかめる」と笑顔を見せてくれる。

40代半ばの女性に、長年気になっていたという上顎前突の矯正治療を行った。同時にホワイトニングと銀歯をセラミックに替えた。約2年で改善した女性から「美容整形したみたいと友だちに言われ、大満足です」と報告があった。「常に期待値を越えられるように努力をしているので、喜んでいただけるとうれしい」と話す。

亀山市で2人兄弟の次男として生まれた。幼少時は、父の日曜大工を手伝い、もの作りの楽しさを知った。走るのが得意で、中3の時には、学校対抗駅伝大会で区間賞と優勝を勝ち取った。

津高に進み、初めてのテストで予想外の高得点を取り、担任から「これなら医学部でも行ける。医者を目指すか」と言われ、考えたこともなかった「医者」という一言が人生を変えた。以来、模擬試験の志望校欄に医学部と書くようになり、猛勉強をしたがそのかいなく予備校に通うことになった。

歯科医の父を持つ友人に「歯医者はすごくいいで」と聞き、医学部から歯学部に進路を変えた。サラリーマン家庭に育った身では国立大を目指すしかなく、何とか夢をかなえるべく受験勉強に励み、徳島大歯学部に進学した。

卒業後、同大で2年研修を受け、名古屋市の歯科医院に5年間勤務して経験を積みながら、給料のほとんどを使ってインプラントや矯正のセミナーに通って最新の技術を習得、32歳で独立を決意した。

同時期に早期退職をした父信隆さん(81)の協力を得て、土地探しから医院の設計、銀行の融資や行政との折渉、申請などを開始、開院にこぎつけた。「父なしではできなかった」と感謝を語る。

鈴鹿回生病院の内科医を務める妻智佳さん(51)と医大生の長男(22)と長女(21)、高校生の次女の5人家族。「妻は学生時代から32年間そばで支え、力を与えてくれる最高のパートナー。愛されて生まれてきたことを子どもたちに行動で伝えています」と話す。

近い将来、名古屋市への進出も視野にいれているという。「超少子高齢化時代を支える歯科医院として、患者さんに心と体の健康を提供し続けたい。スタッフには、それぞれの仕事のプロとして成長してもらいたい」と目を輝かせた。

略歴: 昭和45年生まれ。平成8年国立大学法人徳島大学歯学科卒業。同年日本小児歯科学会入会。同14年大木歯科医院開院。同20年日本臨床歯周病学会入会。同24年アメリカインプラント学会認定医。令和4年四日市分院開院。同年公益社団法人日本歯科医師会入会。