三重県四日市市楠町の「セフティーシステム」は、父の故文夫さんが平成2年に同市新々町で創業。東海地区を中心に、公共施設や高齢者施設、商業施設、病院、物流倉庫などの消防設備の設計・施工・保守業務をしている。同31年に亡くなった父の遺志を継ぎ、社員11人と共に人命を守るための仕事に携わっている。
いつ起こるか分からない恐ろしい事故や火災に備え、ビル防災設備、工場、危険物施設などの防災設備、避難、警報設備から各種消火器まで、防災をトータルで考え、安全・安心の防災システムづくりを提案し、施工している。
世界的にまん延する新型コロナの影響で、海外からの機材入荷が遅れたこともあるが、工事を遅延させることなく業績を維持している。建造物の設計図を基に、必要な消防用設備を提案し消防署の認可を経て、施工する。
雷による停電で非常ベルが誤作動したとの一報で駆けつけた際、「夜中なのに対応が早くて助かった」と感謝された。「当たり前のことをしただけだが喜んでもらえてありがたかった」と話す。
鈴鹿市で3歳上の姉と2人きょうだいの長男として生まれた。幼い頃は近所の子らと海で泳いだり、田んぼや川でザリガニを捕ったりして遊んだ。小1で腎臓病を発症し、医師から激しい運動を止められたため運動会に参加できず悔しい思いをしたが、幸い病気は数カ月で全快した。
楠町に移り住んだ小4からは陸上少年団に入って得意な短距離走に打ち込み、中学でも陸上部で練習に励んだ。高校時代は部活に入らず、放課後は友人らと遊ぶことが楽しかった。将来、何をしたいのか決められないまま、自動車整備工場に就職した。
先輩らに整備を教わるうちに面白くなり、車の構造について帰宅後も学んだ。5年後にガソリン自動車整備士2級、その5年後には自動車検査員の資格を取得した。「人生で一番真剣に勉強した10年だった」と振り返る。顧客の立場に立った丁寧な説明と確かな技術で、指名されるようになり、入社から14年後には工場長になった。
「家業を継ぐ気はあるか」と父から何度目かの打診があり悩んだ末、20年間務めた整備工場を退社して「セフティーシステム」に入社した。
ゼロからの出発に不安もあったが、先輩社員について顧客回りから始め、仕事を覚えていった。退社後も「消防設備士」の受験勉強に励み、翌年、資格を取得した。入社から2年数カ月後に父が亡くなり、慌ただしい中、社長に就任した。
後に父の飲み仲間から「やっと息子が帰ってきてくれたと喜んでいたぞ」と聞き、無口だった父ともっとしゃべりたかったと胸が熱くなった。父が苦労して作り上げてきた会社を、しっかりと守り期待に応えようと決意した。
妻めぐみさん(44)、長男奏雅さん(18)、次男碧羽さん(16)の4人家族。「息子たちと公園で遊んだり、魚釣りに行ったりし、小さい頃は2人とも父親っ子だったが、今は母親と話す方が多くなり少し寂しい」と言う。「2人には、将来それぞれの好きな道に進んでもらいたい。居心地のいい家庭を作ってくれる妻には心から感謝」と話す。
経理を担当する母真澄さん(69)は迷い猫だった小雪と町内で暮らしており、毎週のように妻や息子たちと買い物や食事を楽しんでいる。
働きやすい環境づくりに務め、社員の頑張りが結果として社員に還元されるようになることが、会社を成長させてくれると考えている。「売り上げ倍増、社員数倍増が今後の目標。より大きなセフティーシステムファミリーにしていきたい」と熱く語った。
略歴: 昭和52年生まれ。平成7年県立四日市四郷高校卒業。同9年自動車整備工場入社。同29年「セフティーシステム」入社。同31年「セフティーシステム」社長就任。