菰野町千草の源泉の宿「希望荘」は、昭和42年、県内約970社の中小企業が出資して福利厚生施設「協同組合三重県勤労者福祉センター」として誕生した。民間委託に移行した平成21年、初代社長に就任。昨年、組合創立50周年の記念事業を終えた後、会長に就いた。
10人兄弟の末っ子として四日市市で生まれた。大工職人だった父は、勉強のことは一切言わず「友だちを大切にしろ」、母には「人のいやがる事はするな」と教わった。「貧しかったが、にぎやかな暮らしの中で兄や姉たちの顔色を見ながら要領良く大きくなったなあ」と懐かしむ。
高校卒業後、就職もせずにいると父親が「何か育ててみろ」と貸してくれた畑でサツマイモを栽培したり、クリーニング店員や土木作業員として働いたりと、1年間の体験で「仕事が自分に合う合わないではなく、仕事に自分を合わせるものだと学んだ」。19歳で希望荘に入社し、運転手からボイラーマン、フロント係など一通りの業務を経て、35歳で常務理事に抜擢された。
「利用客が少なく、赤字すれすれの現状を打開するために何をすれば」と考え、まず従業員の育成から始めた。土・日・祝日休みなしの職場を嫌う若者が多い中、以前旅行で訪れた際、島人らの素朴な気質に感銘を受けたことを思い出し、鹿児島県を訪れ県立奄美高校で求人を呼び掛けた。
以来、毎年新卒者数人が就職してくれるようになり、これまでに延べ55人を雇用してきた。現在、社員42人中、奄美大島出身者が23人を占めている。「町内で結婚した第一期生が、子育てが一段落したのでまた働かせてほしいと来てくれたときは感激でした」と話す。島に戻り、希望荘での経験を生かして活躍する人がいるのもうれしい。平成24年には、奄美観光大使の委嘱を受け、島の広報活動にも携わるようになった。
また、7年前からはコミュニティービジネスとして、地元音羽地区で兼業から専業農家になった退職者9人に、希望荘で使う野菜の計画生産を依頼。旬のものを旬の時期に提供できるようになり、併せて地域ぐるみで観光客を歓迎する態勢づくりにもつながっている。
施設の充実はもちろん、菰野ならではの旬の素材を使った郷土料理に加え、おもてなしの心で接客を心掛ける従業員が増えるにつれ、数%だったリピート率が20数年間で約70%と飛躍的に伸びた。従業員とのおしゃべりを楽しみに、年間パスポートを購入して毎日のように日帰り入浴に訪れる地元住民も多い。
「企業の経営は従業員がしてくれる。オーナーの役割は、従業員を育てることに尽きる」と熱く語った。
略歴:昭和23年生まれ。同41年県立菰野高校卒業。平成17年全国教職員互助団体指定旅館連盟副会長に就任。同21年菰野町商工会副会長に就任。