四日市市北町の「ホリベ硝子株式会社」は、父の故喜八朗さんが「ホリベガラス」の屋号で昭和50年に創業した。住宅メーカーの下請けとして一般住宅のアルミサッシ、ガラス工事を手がけていた。父が体調を崩して亡くなる前年の平成26年に経営を引き継いだ。
父の代からの下請け仕事を大切にしつつ、元請けの仕事も増やしてきた。システムキッチンやユニットバス設置、床の張り替え、塗装工事などのリフォームも手がけるようになり、エリアも市内から東海3県に拡大。コロナ禍も乗り越えて、信頼と実績を積み重ねながら業績を伸ばしている。
50代の夫妻から、洗面所のリフォームの相談があった。住宅は段差が多く、たこ足配線箇所が多かったため、バリアフリーとコンセントの増設を提案した。施工後、「使いやすく、見た目もすっきりして大満足です」と喜ばれた。
以前、リフォームをした施主の紹介で、知人宅の壁面塗装に携わった。ビニールで囲む養生中、塗料に使うシンナーの臭いが気になると苦情を受け、協力会社の塗装職人らが、臭いがこもらないように素早く手当をした。70代の施主から「すぐに対処してくれてありがたかった。安心して任せられた」と感謝された。
四日市で4人きょうだいの次男として生まれた。幼少時は、劇団の座長で女優だった母仁子さん(83)の練習について行き、劇団員のお兄さんお姉さんたちのマスコット的な存在だった。小4から3年間、スポーツ少年団で軟式野球、中高の6年間は柔道に打ち込んだ。
11歳年上の兄は東京で就職しており、自分が父の跡を継ごうと、卒業後は名古屋総合ビジネス専門学校に進み、2年間学んだ。父から「すぐ家業に入ると甘えが出る。しばらく外で働いてこい」と言われ、名古屋市の「名古屋トーヨーサッシ(現セレックス)」に入社した。寸法に合わせて切断したサッシを組み立てて、現場に運んで取り付ける仕事に2年間携わった。慣れてきた頃、父が体調を崩したため退社して実家に戻った。
家業に入社し、先輩社員らの仕事を見ながら覚え、営業にも力を注いできた。仕事が趣味のような父の後ろ姿を見ながら、いつか父に追いつき、追い越してやるぞと自身に誓った。入社から12年、34歳で2代目となった。地道な営業活動で、仕事の割合は下請けと元請け7対3までになった。
母と事務全般を担当する妻美帆さん(44)、動物好きで4月からペット専門学校に通い始めた長女(18)、プラモデルに夢中の長男(14)、愛犬のロッティーとニーナのにぎやかな家族。「家庭が一番の心安らぐ場、仕事への活力を与えてくれる。子育ても家事も、そして仕事も支えてくれる妻には、常に感謝を伝えている」と話す。
「社員の高齢化もあり、今後はリフォームの仕事に重点を置こうと考えています。常に施主様の立場になって、より良い提案と丁寧な施工をさせていただきます。また、遠距離の工事を協力し合えるよう、同業者間のネットワーク作りをして、仕事の効率を上げていきたいと思っています」と意欲を語った。
略歴:昭和54年生まれ。平成11年名古屋総合ビジネス専門学校卒業。同年「名古屋トーヨーサッシ」入社。同13年「ホリベ硝子」入社。同26年「ホリベ硝子」社長就任。令和5年共同地区体育振興会会長就任。
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