―高品質で安定した苗を― 各種野菜苗生産・卸「シードリング浦川」社長 浦川浩幸さん

【「高品質で安定した苗を生産・出荷し、信頼と実績を重ねていきたい」と話す浦川さん=鈴鹿市河田町で】

鈴鹿市河田町の「シードリング浦川」は、農家だった父の故満さんが「浦川種苗」の屋号で昭和44年に創業し、野菜苗の生産卸を始めた。平成7年に亡き父から経営を引き継ぎ、法人化して現在の社名とした。

広さ約1・5ヘクタール、20棟のハウスで季節ごとの野菜苗約100種と水稲、小麦を生産し、北勢地域のJAやホームセンターを中心に、年間100万鉢ほどを出荷している。「丹精した苗を出荷し、これまで顧客からクレームがないことが大変ありがたい」と話す。

従業員はフィリピンからの技能実習生8人と家族4人。20―30代の男女技能実習生らは、母国で日本語を学び、3年間の契約で働いている。契約終了後は帰国するが、1年後に再び「働きやすい環境だったから」とフィリピンのお土産を手に戻ってくる人もおり、喜んで再雇用している。

早朝から、全てのハウスの苗の生育具合をチェックして回り、発芽した苗が約10―15センチに生育するとビニールポットに移してトレーに並べて出荷する。全ての野菜類は、苗の段階で出来栄えの5割が決まると言われている。種まきから発芽、天候によってハウス内の温度管理をしながらの水やりなど、細心の注意を払って均一の苗を出荷できるように日々、努力している。

鈴鹿市で2人兄弟の長男として生まれ、祖父母と6人家族の中で育った。幼少時は、2歳下の弟を連れて近所の友だちと公園でよく遊んだ。河曲小、神戸中を経て四日市農芸高農業科に進み、片道30分の自転車通学を経験した。「学校帰りに、友だちとお好み焼き屋に寄るのが楽しみだった」と懐かしむ。

卒業後は北勢地方卸売市場の水産会社に入社。活魚をさばく仕事に3年間携わった。その後は、大手自動車部品メーカーや土建会社で働いていたが、家業の繁忙期には休暇を取って手伝っていた。26歳の時、心筋梗塞で突然父が亡くなった。

出荷を目前に控えた苗があり、土建会社を退職して従業員らとともに出荷作業を始めた。時々、父を手伝っていたので作業手順は頭に入っていた。悲しみに暮れる母に、少しでも安心してもらおうと、父の仕事を引き継ぐ決意を伝えた。

几帳面だった父が、日々記していた日誌には野菜の種類ごとの最適な種まきの時期、最適な温度や水やり、それぞれの作業工程、出荷の手順などがびっしりと書き込まれていた。父が遺してくれた苗生産の最高の教科書として、常に手元に置いている。

3年前に家業に入社した長男に勧められて、一緒に特殊小型船舶操縦士免許を取得。休日は、千代崎海岸でジェットスキーを楽しんでいる。「風を切り、水しぶきをあげながら海の上を走る爽快さに夢中。何よりのリフレッシュタイムになっている」と話す。

物価高騰が続く中、作業効率を上げてコスト削減を図ろうと模索しているという。「従業員らと共に、高品質で安定した苗を生産・出荷し、信頼と実績を積み重ねていきたい」と語った。

略歴:昭和44年生まれ。同62年県立四日市農芸高校農業科卒業。同年水産会社入社。平成7年「浦川種苗」入社。同年法人化「シードリング浦川」社長就任。令和4年日本野菜育苗協会理事就任。