三重県初の完全プライベートセルフ脱毛サロン「キングスサロン三重四日市店」を令和2年に四日市市安島にオープンした。一般的に高額と思われがちな脱毛サロンのイメージを覆し、気になる部位だけを低コストで気軽に脱毛できる。近鉄四日市駅西口から徒歩2分という立地のよさもあり、勤務帰りの会社員や自営業者、主婦らが利用している。
「脱毛を通してコンプレックスを解消し、自信を持って次のステージへ」がサロンのモットー。専門スタッフによるカウンセリングと器具の操作説明を受け、利用者らは個室で専用ジェルと最新の業務用光脱毛マシンを使って頬や顎、脇、すねなどの脱毛を行う。不明な点がある時は待機しているスタッフが対応する。個人差もあるが2週間に1回、半年ほどの利用で「つるすべ肌」を実感できるようになる。その後は3―6カ月に1回のメンテナンスで効果が持続するという。
人と会うことの多い30代の営業マンは「体毛が濃くて悩んでいたことがうそのよう。なりたい自分になれて仕事もプライベートも積極的に取り組めるようになった」と、メンテナンスに訪れる度に笑顔を見せる。
全身脱毛と老後に備えての介護脱毛を希望する40代女性は「セルフで恥ずかしさもなく、お安くできて大満足」と喜んでくれた。「自身でピンポイント脱毛をして、満足感を得ていただくという新しいスタイルを提供できることがうれしい」と話す。
四日市で4人きょうだいの長女として生まれた。幼少時から活発で好奇心旺盛な子だった。あれもこれも習いたいと、小学時代はそろばんに算数、水泳、絵画、ピアノ、書道塾をかけ持ちで通った。小3からスポーツ少年団に入り、バレーボールにも打ち込んだ。
進学した桑名西高2年の時、父親の勧めでロータリークラブの交換留学生としてカナダで留学生活を送った。1年後に帰国したが、中途半端で終わりたくないと桑名西高を退学して再度カナダの高校に戻った。「言葉も文化も違う国で必死に頑張った2年間。つらかったことも含めて、楽しく貴重な青春の1ページ」と振り返る。
帰国後は同志社女子大に進学し、英語英文学科で学ぶ傍ら、家庭教師のアルバイトにも励んだ。実家が呉服屋の同級生と親しくなり、和服を着せてもらって京都の町を散策したり、仲良し4人の女子会で盛り上がったり、勉学も遊びも充実した学生生活だった。今でも月1回は4人で集まって親交を深め合っている。
卒業後は、父が経営する「三重綜合警備保障」の連盟会社「綜合警備保障」に入社し、新卒・中途採用業務に5年間携わった。28歳で父の会社に入ってグループ会社2社の設立を手伝い、総務・経理など事務方全般を担当した。結婚後は、家事と育児に忙しくなり、徐々に仕事を後進に任せるようになった。
カナダ留学中に足のむだ毛をそる習慣がつき、帰国後は脱毛サロンに通っていたが、料金が高く育児中は中断していた。40代になって再び思い立ち、名古屋市で全身脱毛コースを契約して通い始めたが、満足な結果は得られなかった。
その頃、知人から「キングスサロンのセルフ脱毛は料金が安く、たった3回で効果を実感できた」と聞き、さらに同社がフランチャイズ募集をしていることを知った。セルフ脱毛を三重の地で広めたいと決意して応募、審査に合格して三重四日市店を開店した。
毎朝、高1、中2、小6、小1の子どもたち4人を学校に送り出した後、出勤してスタッフ3人と予約の確認や打ち合わせをし、事務仕事や営業に追われる日々を送っている。忙しくても、家族そろって夕食を囲み、子どもたちの話に耳を傾ける。「最近は長女が家事を手伝ってくれるようになり助かっている。子どもたちにはそれぞれ好きな道に進んでもらいたい」と話す。
10月に筋力アップやダイエット効果のある痩身(そうしん)マシンを導入し、好評を得ている。「将来はフェイシャルマシンを導入し、顔のたるみ改善や美肌ケアのできるより満足度の高いトータル美容サロンを目指したい」と熱く語った。
【略歴】 昭和50年生まれ。平成10年同志社女子大英語英文学科卒業。同年「綜合警備保障」入社。同15年「三重綜合警備保障」入社。同年「システム24」役員就任。令和2年「キングスサロン三重四日市店」創業。
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