―機械トラブル素早く対応― 工業用ゴム、樹脂製品加工販売「宮田工業ゴム」社長 宮田孔介さん

【「大手企業にはできないきめ細かなサービスで業績向上につなげたい」と話す宮田さん=四日市市末広町で】

四日市市末広町の「宮田工業ゴム」は、父五郎さん(90)が昭和46年、津市栗真小川町で創業した「宮田工業ゴム商会」が前身。工業用ゴム・樹脂製品、付属金具類の加工販売を開始した。

翌47年に法人化して社名を改め、同50年に現在地に本社を新築移転した。「工業用ゴム・樹脂を通して、あらゆる産業の発展と環境に貢献する」という経営理念とともに、平成22年に父から経営を引き継いだ。

常にお客さまの立場に立って、誠実であれという創業の精神をモットーに、ラバーコンサルタントとして社員と共に自信を持ってお勧めできる製品を提案している。現在は、大手ゴムメーカー2社の認定工場・代理店として、油圧ホースやベルト、海洋商品などの販売エリアを全国に拡大して業績を伸ばしている。

数年前、コンビナート企業から「油圧ホースが破裂して機械がストップした」と深夜に連絡が入った。急いで駆けつけ、待っていた企業従業員らとホースを外し、在庫のホースを数時間で加工して取り換え、明け方には再稼働することができた。「素早い対応のおかげで助かった」と感謝された。

津市で2人きょうだいの長男として生まれた。小学時代は剣道を習い、中学では音楽教諭の勧めで吹奏楽部に入った。音楽の楽しさに目覚め、津まつりのパレードや地区のコンクールなどに参加した。

海星高校でも吹奏楽部に入部。楽しみながら練習に励み、県代表として東海地区金賞を受賞した。3年の夏には甲子園のアルプススタンドで野球部の応援をすることができ、青春時代の貴重な思い出になった。

明治大学に進学し、商学部で学ぶ傍ら吹奏楽部の活動を続けた。在学中、友人とオーストラリアへ1カ月の旅をした。エアーズロックの壮大な眺めや、各地で声をかけてくれる人々の優しさと心の広さに触れ、視野が広がったと感じた。

卒業後は東京の大手ゴムメーカーに入社。セールスエンジニア部に配属され、新商品の開発と営業・企画に携わった。仕事が面白くなるにつれ、歯車の一部ではなく全てを自分の手で動かしてみたいと思うようになった。家業で働きたいと父に頼み、8年間務めた会社を辞めて「宮田工業ゴム」に入社した。

入社後は、数百種類もの商品名を覚え、加工技術の習得、営業などの傍ら、経営者セミナーを受講して多くを学んだ。「日々の仕事を通して満足感と達成感を得ることができ、この道を選んで本当に良かった」と話す。

妻と長男、愛犬と暮らしている。仕事が忙しく、そろって食卓を囲むのは週末だけだが、子どもの休みに合わせて年に数回は家族旅行を楽しんでいる。「居心地のいい家庭を作り、健康を気遣ってくれる妻に感謝。子どもには好きな道を見つけて進んでいってほしい」と思っている。

「七転び八起き」が座右の銘。「不景気が続く中、社員と共に大手企業にはできないきめ細かなサービスで業績向上につなげたい」と熱く語った。

略歴: 昭和39年生まれ。同61年明治大学商学部卒業。同年大手ゴムメーカー入社。平成8年「宮田工業ゴム」入社。同22年「宮田工業ゴム」社長就任。