―未来に残る仕事に誇り― 総合建設業「杉本組」社長 杉本智哉さん

【「四日市で建設業といえば杉本組と想起されるような会社を社員と共に目指したい」と話す杉本さん=四日市市石原町で】

四日市市石原町の「杉本組」は、祖父の故茂さんが仲間と共に昭和21年に鈴鹿市岸岡町で創業した。港湾運送や土木作業を手がけ、戦後復興に力を注いだ。同29年に石原産業の業務委託を受け、同34年には石原産業の四日市工場敷地内に本社を移転した。

多岐にわたる業務を整理するため平成12年、総合建設業「杉本組」と貨物取り扱い業「杉栄開発」の2社に分社し、「杉本組」を父弘次さん(70)、「杉栄開発」を伯父啓さん(73)がそれぞれ引き継いだ。

父弘次さんは、道路や河川などの公共土木工事や民間工事にも着手して事業を拡大。令和元年、「明朗・誠意・信頼」の社是とともに、父から経営を引き継いだ。直後のコロナ禍で業績の悪化を危惧したが、公共事業は順調に推移し、企業の工場、倉庫、店舗建設など民間事業も影響を受けず、業績を伸ばすことができた。

人手不足が建設業界の最大の課題。災害から命と財産を守り、人々の快適な生活を支える使命がある社会インフラと建物を作る建設業。完全自動化が難しい業界のため、土木建築の能力は一度身につけると一生の財産になる。自分が手がけた道路や建物が未来に残る誇りを持てる仕事だと、高校や大学に毎年出かけて、次世代を担う若者たちにPR活動をしている。

2年前、市内企業の社屋と工場兼倉庫の建設を手がけた際、完成祝賀会の席で、施主から「どんな無理難題も聞いてくれて大満足の仕上がり」と涙ながらに感謝された。施主との理想的な関係性を築けたと、社員一同で喜びを分かち合った。

鈴鹿市で2人兄弟の長男として生まれた。幼少時から負けず嫌いな性格で、運動も勉強も全て1番になりたかった。中高一貫の鈴鹿中学に進み、中3からバンド活動に夢中になり、プロミュージシャンを目指すようになった。

高3になり、周囲が進路を考える中、幼なじみから「将来のことを真剣に考えろ」と厳しく指摘された。バンドをやめて大学受験に専念し、受験した国・私立5大学全て合格したが、より自分に合った大学を目指すため浪人した。

翌年、東京工大工学部に進学、大学院に進み総合理工学研究科創造専攻修士課程を修了。会社説明会で「他社で10年かかるところを3年で成長できる」という社長のスピーチに感動し、ITコンサル会社に入社した。

4年間無我夢中で働き、さらなる成長を求めて戦略コンサル会社に転職して3年目を迎える頃、父から「後継者として戻ってくるか」と打診され、迷わず家業に入った。現場仕事から営業、広報などを経験する傍ら、愛知産業大の建築学科を卒業。1級建築施工管理技士の資格を取得し、入社7年目に社長に就任した。

妻と長男、長女の4人家族。「家事も育児も全て妻任せ。仕事への活力を与えてくれる家族に感謝」と話す。

「社会の環境整備を通してお客様の信頼に応え、社員をはじめ周囲の人々の幸福のために全力を尽くし、将来は、四日市で建設業といえば杉本組と想起されるような会社を社員と共に目指したい」と熱く語った。

略歴: 昭和56年生まれ。平成19年東京工大修士課程修了。同年「フューチャー」入社。同23年「PMIコンサルティング」入社。同25年「杉本組」入社。令和元年「杉本組」社長就任。同3年県建設業協会入会。