三重県四日市市日永の「ブンカ」は、「文化シャッター」の前身となる兵庫県の「東海商店」社員だった父の故譲さんが独立し、昭和38年に同市曙町でシャッターの製造・卸会社「文化シャッター三重販売」を創業した。鉄扉と呼ばれていたシャッターが普及し始めていた当時、売り上げを急速に伸ばした。
洋風建築が広く取り入れられるようになった同40年代には、密閉度の高いアルミサッシを併売するようになり、北中勢地域を中心にさらに業績を上げた。同45年にカーテン、カーペット、ブラインドなどを展示したインテリアショールームと事務所を備えた本社を現在地に新築移転し、「ブンカ」と社名変更した。製造・卸に加え一般客への直接販売も手掛けるようになった。
平成22年、亡き父を継いで社長に就任した。その頃は住宅建設会社が作り付けの家具や照明、カーテン、カーペットなどもトータルで手掛ける事が多くなり、インテリアや家具の専門店が淘汰(とうた)される厳しい時代を迎えていた。「オンリーワンの企業として存続するため、インテリアの可能性を追求し、今までにない製品を世に送り出そう」と模索を始めた。
試行錯誤を重ね、これまでの常識を覆すブラインド「ツッパルーバ®」を考案した。居間やキッチン、浴室などの窓に、工具を使わずつっぱり方式で簡単に設置でき、経済的で掃除も簡単という斬新な点が評価され5年前に特許を取得した。商品化し、3年前から店頭販売とインターネット通販を始めた。
「ツッパルーバ®」の総代理店を東京のインテリア商社に委託。各メディアで紹介されたり、テレビドラマのセットで使われたりして認知度が徐々に上がり人気商品になっている。
和歌山県で2人兄弟の次男として生まれ、1歳の時に四日市に移り住んだ。小4からスイミングクラブに通い始め、大学卒業まで13年間水泳に打ち込んだ。高1から大学4年まで、県代表として国体に7回連続出場を果たした。「厳しい練習に耐えながら水泳を続けたことで忍耐力が養われた。努力の成果が出て、ベストタイムを更新するたびに得られる達成感はとにかく最高だった」と振り返る。
専修大在学中、将来は父の仕事を継ごうと決めていた。卒業後は、インテリア業界で視野を広めようと大阪市のインテリア総合商社「大装(現アスワン)」に就職した。同社で製造開発と営業に7年間携わった後、両親が待つ実家に戻り「ブンカ」に入社した。先輩社員の指導の下、店頭での接客やカーテン、クロス、壁紙などの採寸、施工方法を習得した。平成22年、体調を崩していた父が亡くなり2代目として経営を引き継いだ。
経理とインテリアコーディネーターを兼務する妻直美さん(52)と長男(27)、次男(24)、長女(21)の5人家族。子どもたちは幼少時から水泳教室に通っていたが、特に次男の暉さんは小学生のころから全国大会に出場するほど上達が早かった。現在は実業団で活躍しており、4月の最終選考会で東京五輪競泳出場が内定した。「オリンピックでも自分のスタイルを貫いた悔いのない挑戦をしてほしい。3人それぞれが目標に向かって進んでいる姿を妻と共に見守り、応援している」と話す。
新商品の第2弾として開発したスクリーンやシェードを操作するチェーンのボール部分をしずく型にして、上下方向への操作を分かりやすくした「ラブドロップス®チェーン」(意匠登録取得)の販売も近く予定している。触れることで操作方法が分かると視覚障害の方々にもモニタリングで好評を得ている。
新商品の売り上げの一部はパラリンピックアスリートの支援に充てる方針だという。「今後も斬新な商品を生み出し、社会貢献もできる企業を目指したい」と熱く語った。
略歴: 昭和37年和歌山県生まれ。同59年専修大学経営学部卒業。同年「大装(現アスワン)」入社。平成元年「ブンカ」入社。同22年「ブンカ」社長就任。同28年四日市水泳協会役員。同30年四日市ライオンズクラブ入会。
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