―察しながら寄り添う― 葬儀請負・関連サービス「柳屋総本店」社長 柳川曜一郎さん

【「今後も『おせっかい』を喜んでいただける会社を目指したい」と話す柳川さん=四日市市西阿倉川で】

三重県四日市市西阿倉川の「柳屋総本店」は、父翼村さん(81)が務めていた葬儀社から独立し、平成2年に同市富田で創業、翌年法人化した。同17年に現在地に本社を移転して、北勢地域を中心に遺族の心を察しながら寄り添い、愛する家族を心に残るお葬式で見送れるよう、誠意を込めてお手伝いをしている。

コロナ禍で身内だけの家族葬が多くなっていたが、1年ほど前から家族、親族に加え、知人や友人、近所の方々にも参列を呼びかけるようになってきている。

昨年、会長に退いた父に代わって社長に就任し、創業者の精神「察しながら寄り添う」を、従業員10人と共に引き継いだ。大切な家族を亡くし、大きな喪失感の中にある遺族が雑事や段取りに振り回される事なく、故人の思い出や悲しみを親しい方々と心ゆくまで分かち合い、ゆっくりとお別れする時間と空間を提供している。

式場選びや参列者へのあいさつ、香典のお返しなど、何をどうやったらいいのか分からず戸惑っている喪主の心に寄り添い、納得のいく提案をしながら不安要素をひとつひとつ取り除いていく。通夜、葬式の席での参列者への対応も、ベテランスタッフがそっとアドバイスをする。

ひつぎに花を手向けて最後のお別れをする時、故人の生い立ちや幼少期、仕事や家庭でのエピソードなど、スタッフらが家族や親族、友人から事前に聞いておいた亡き人の生涯の歩みをまとめ、静かに読み上げる。希望により、式場でスタッフらが撮ったスナップ写真をアルバムにして、後日遺族に届けている。

「スタッフがずっと側にいてくれて心強かった」「写真は家族にとっていい思い出になる」と感謝されている。また、相続や年金、行政の葬儀後手続きについての相談にも丁寧に応じ、必要に応じて専門職の紹介もする独自のサービスも行っている。

四日市市で3人きょうだいの長男として生まれた。幼い頃は足が速く活発な子だったが、小学時代はテレビゲームに夢中になり友だちが少なかった。6年の時、母の勧めでテニススクールに通うようになり、中高含め7年間テニスに打ち込んだ。徐々に社交的になり、部活仲間だけでなく他校のテニス部員とも親しくなった。

父からは「好きな道に進め」と言われていたが、いつからか、将来は父の仕事を継ぐことになるだろうと漠然と感じていた。大学は親元を離れ、関西福祉科学大に入学。社会福祉学科で学ぶ傍ら、居酒屋でアルバイトをしたり、休日には仲間とバイクでツーリングをしたりして学生生活を満喫していたが、3年の秋、母が亡くなった。

いつも笑顔で、大きな愛情で包んでくれていた母。喪失感で頭が真っ白になり、慌ただしく過ぎていった通夜、葬儀の記憶がほとんどなかった。落ち込んで勉学に身が入らなくなったが、何とか卒業することができた。

父の紹介で入社した高齢者福祉施設で、介護の仕事を2年経験した後、家業に入った。通夜、葬儀の現場で、喪主との打ち合わせや段取りを覚えていった。一晩に3件、4件の依頼が重なることもあり、待ったなしの大変な仕事を任される責任の大きさを実感した。「細やかな心遣いがありがたかった」「最後の親孝行ができた」などの家族の言葉が励みになり、やりがいを感じるようになっていった。

妻恵里さん(44)と長女絹乃さん(10)の3人家族。皆でテレビを見ながら駄じゃれを言い合ったり、大好きな焼き肉を食べに行ったり、笑いが絶えない。「優しい心遣いができる自慢の娘には将来、好きな道に進んでほしい。居心地のいい家庭を作ってくれる妻には感謝しかない」と話す。

葬儀会館「そうそうの森 山城」と「同 結(むすび)」の2拠点を中心に、家族葬に対応できるようなホールの増設を計画している。「母を見送った際に感じた物足りなさから多くを学んだ。遺族・親族、参列者の心に残る葬送セレモニーを目指し、通夜・葬儀式場でのスナップ写真を撮ることや、葬儀後の諸手続きのお手伝いなどの『おせっかい』を喜んでいただける会社を目指したい」と語った。(岸)

略歴:昭和54年生まれ。平成13年関西福祉科学大学卒業。同14年高齢者福祉施設入社。同16年「柳屋総本店」入社。令和4年「柳屋総本店」社長就任。

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