三重県亀山市両尾町で平成24年に「TANIGUCHI」を創業、翌25年に法人化した。東海3県を中心に、企業の工場や商業施設、マンションなどの鉄骨設備工事に携わり、業績を伸ばしている。
「安心・安全と品質管理、納期厳守、良いモノづくり」をモットーに、現場採寸から図面作成、工場加工、現場施工まで一貫して対応しており、社員と協力会社の職人らの丁寧な仕事で信頼を積み重ねている。
大手自動車工場のライン変更に伴う搬送機取付工事では、工場の稼働が止まる連休中に全ての工事を終えなければならず、昼夜交代で架台を組み、次の工程の業者につなぐことができた。元請け担当者から「いつもながら良い仕事をしていただいた」とねぎらいの言葉をかけられ、共に働いた仲間と祝杯を挙げて喜びを分かち合った。
設計から施工までを手がけた工場の増設工事では、稼働中の旧工場と隣接しているため工事機器の動線確保が難しく、終業後と休日に主な作業をして納期に間に合わせることができた。施主は「谷口さんに頼んで良かった」と喜んでくれた。
亀山市で2人兄弟の次男として生まれた。小4から野球を始め、中1からは兄の影響でサッカーに転向し、1年生で県選抜選手に選ばれた。中学の3年間はサッカー漬けの毎日を過ごし、スポーツ推薦で福岡県にあるサッカーの名門高校に進学した。
家族や仲間のいない地での生活になじむことができず、1年ほどで自主退学して実家に戻った。「今思えば、サッカーを通じてチームプレーや礼儀など多くを学び、得ることは多かった」と懐かしむ。帰郷後は、父方の伯父が経営する鉄工所で働き始めた。先輩職人らの指導で、鉄板の切断や曲げ加工、溶接の技術などを覚え、仕事がどんどん面白くなっていった。
5年後、建築会社に再就職して鉄骨建築工事に携わりながら腕を磨く傍ら、将来の独立を視野に2級建築士試験に挑戦し、見事免許を取得した。「人生で一番本気になって勉強した時期だった」と振り返る。
その後、母方の伯父が経営する鉄骨建築会社で5年間務め、30歳を機に独立して「TANIGUCHI」を起業した。これまで修行させてくれた伯父ら親族の支援もあり、順調に受注が入り、社員も少しずつ増やしていった。
17歳の頃から人生の師と仰いできた恩人が先日亡くなった。一人前になった姿を誰より喜んでくれた人だった。「モノづくりへの道を進むきっかけを与え、『死ぬまで勉強やぞ』が口癖だった師の言葉を、若い社員に伝えていこう」と決意した。
妻華代さん(42)と長男蓮さん(13)、長女七海さん(9つ)の4人家族。妻は経理事務を手伝いながら、子育てと家事全てをこなし、息子はサッカー、娘はゴルフに夢中だという。仕事で忙しく、家族と過ごす時間がほとんどない日々、「周囲からシングルマザーと呼ばれている妻には申し訳ない。いつかゆっくりと労をねぎらい、感謝を伝えたい。子どもたちにはそれぞれ好きな道に進んでほしい」と話す。
「若い世代に技術をしっかりと伝え、いつの日か独立していく時がきたら喜んで後押ししていくことが、これまで支えていただいた方々への恩返しになると思う」と語り、「鉄に関わる仕事の幅を広げながら、信頼と実績を積み重ね、谷口に任せたいと言っていただける会社にしたい」と目を輝かせた。
略歴: 昭和56年生まれ。平成9年高校中退。同年鉄工所入社。同17年二級建築士免許取得。同24年「TANIGUCHI」創業、翌年法人化。令和3年県中小企業交流会「MR」入会。